岡野功先生から最近の柔道に関するお考えを伺った。言うまでもなく、岡野先生は1964年の東京オリンピックの中量級金メダリストで、全日本選手権でも2回優勝(史上最軽量優勝者)。1965年の世界柔道選手権(中量級)でも優勝し、日本でも数少ない五輪・日本・世界の三冠制覇をなしとげた者の一人である。今日、日本柔道界の公的な役職は有していないが、常に柔道の本質的なものを求める姿勢やその技量は国内外から尊敬の念を得ている。
先生は間もなく67歳になられるが、いまも柔道衣を着て畳の上に立つ「現役」で、流通経済大学のほか、国内外で柔道の指導に当たっておられる。「柔道がまがいものになるのを黙って見ていられない」との気迫をもつ。先生の発言はいずれも柔道の本質に関わる重要な点を含んでいる。
(2011年2月5日 文責 小川郷太郎)
かねてより最近の柔道衣について問題を感じている。柔道衣を着たときの「たっぷり感」、「ゆとり」がないからだ。ゆとりがないために、例えば背負い投げを指導していても相手の襟を持つ手首が回らないほどで、そのような状態は異常である。これでは柔道の代表的な技が使えなくなり、本来の柔道が出来なくなる。サンボや相撲、イランのレスリングなどの格闘技と柔道の違いは、身に着ける物にある。これによって技の性格は大いに変わるのだ。
柔道衣は本来着物に由来するが、着物はたっぷりしていて、これが様々な技の掛け方を可能にし、それが「小よく大を制す」柔道の特質であった。かつての柔術の着物は体にかなり密着していたが、近代柔道では柔道衣にたっぷり感を与えたのだ。
柔道衣がゆったりしていないことにより、柔道の個性が殺されて、他の格闘技と似た面も出てくるし、無差別の試合を面白くなくする結果にもなる。 試合においては、事前に選手が着ている柔道衣に手を入れてたっぷりしているかをチェックすることも必要だ。
自分はあまり国際試合を直接見ていないので、帯から下の手による攻撃を禁じる新しいルールが実際にどのように適用されているかは正確につかめていない。しかしこの新しいルールについて聞いたとき、これでは相手が攻めてきたときに「後の先」をとることが難しくなり、無差別の試合などでの面白さを減少させることを懸念した。
「後の先」をとるには大きく二つの方法がある。ひとつは、相手の技を返すこと。もうひとつは、相手の攻撃を受けて自分の得意技に変化することである。新しいルールにより、捨て身小内刈、肩車、足を持っての大内刈などが出来なくなり、掬い投げや相手の腰を抱き込んだりして技をかけにくくすると考えた。これでは「小よく大を制する」無差別級の試合が成り立たなくなる。せめて、ごく一部の技を指定して禁止する方法もあろう。
ただ、その後アメリカに行った際、練習や試合を見て、この新しいルールにより、多くの柔道家が足を狙うのではなく柔道の本来的な技である内股、体落、背負投などをより一生懸命身につけようと練習していたことに気付いた。よりまともな柔道をするようになった面は良いが、他方で、個性的な技が少なくなり、技や攻防がシンプルになって面白みが減じる側面もあると感じた。
この新しいルールが今後どう展開するか注視していきたい。
柔道において寝技は重要である。寝技に強くなるには足をいかに使うかで、手と足4本を使う鍛錬が重要だ。多くの選手がこの基本を知らなくなっている。
最近の試合を見ていると、畳の上にうつ伏せになって審判がマテを掛けて助けてくれるのを待つような傾向が目につく。これでは寝技が死んだも同然だ。相手に背を向けているようでは後ろからやられることになり、これは武道ではない。仰向けになって相手と攻防しなければならない。うつ伏せで審判の助けを待つような消極的選手にはペナルティを与えることも検討すべきではないか。それは寝技再興のためでもある。
審判の問題もある。審判が寝技の展開について知らないからすぐ立たせる傾向が強い。寝技の攻防の展開をよく知っていれば寝技が膠着するかどうかがわかる。寝技を知らなかったり、寝技経験の浅い審判があまりにも多い。そういう者には審判をさせないことも必要だ。 審判についてさらに言えば、国際試合では一本にならない技を一本と宣言する例が目に余るほど多い。審判の研修や訓練が必要だ。
昨年9月の東京での世界選手権無差別級決勝戦で判定で敗れたフランスのリネール選手は、判定を不服として礼もせず試合場を降りたと報道された。自分は現場を見ていないが、報道が正しければ重大な問題である。柔道は礼に始まり礼に終わる。負けたから、あるいは判定に不服だからと言って礼をしないのは喧嘩と同じだ。
フランスでは柔道が柔道らしく伝えられているのであるから、これを放置しておくことはないと期待している。フランスの柔道界がリネール選手に注意しなかったり、ペナルティーを与えないのであればおかしいし、フランスの地位を低めることにもなる。日本もこの点について注意すべきであった。日本では柔道を学ぶ多くの青少年がテレビなどを通じて見ている。柔道ルネッサンスでは礼節を教えている。日本は抗議するべきであった。 日本は国際的に発言力が弱いのであればフランスと一緒に礼節を発信すべきだ。