(講演要旨)(2015年4月18日)
このテーマは複雑で機微な点を含んでいるうえに、日本の歴史認識のありかたが次第に国際的広がりを持つ大きな関心事にもなり、日本の言動が国家の品格にも関わる要素をさえ含んでいる。
第2次世界大戦終了後70年ということで、様々な国がそれぞれの「戦後70年」の行事を行おうとしている。報道などによれば、中国は9月に「抗日戦争勝利70周年記念式典」を行い、軍事パレードを実施するとも言われる。韓国は毎年8月15日に「光復節」として日本からの独立を祝っているが、70年目の本年の行事の内容が注目される。ロシアは5月に反ファシズム戦争勝利を祝い、習近平主席や、金正恩第一書記を招待するとの報道がある。例年、仏、独なども大きな終戦記念行事を行っている。それぞれの国が自国の立場から70周年を記念し、時にはナショナリズムを煽る傾向もみられる。近隣国との間で摩擦を抱える日本の行動も世界から注目されている。どの国であれ、この問題は本来ナショナリズムを克服して世界的視野で考えるべきものである。
世界には近隣国同士で様々な「歴史問題」がある。日米間では和解ができているので先鋭化することはないが、原爆、空襲、日系人収容などを巡る議論がときに触れ提起さる。今後日米の首脳が相互に、広島・長崎と真珠湾を訪問すべきとの提言もある。
私(小川)はこれまでいろいろな国で「歴史」問題に関連する体験をした。高校生のときのアメリカ留学時代にはアメリカ人の家庭にお世話になったが、ある日家族との夕食の場で、私が原爆の兵器としての非人道性に触れたときのアメリカ人の激しい反応に驚いたことがある。唯一の被爆国国民としての私の感情と真珠湾攻撃を卑怯な戦争と見るアメリカ人の立場の大きな差をあらためて心に刻んだ。フィリピン在勤中には様々な地域や離島などを訪問したが、普段は明るく友好的なフィリピン人の心にも日本が行った戦争の影響が残っていることを知った。韓国では、親しくしていただき敬意をもっていた年配の知識人と食事をしていて酒も心地よくまわってきたころ、相手の先生が突如顔を真っ赤にして、「小川さん、日本は韓国の民族と文化を抹殺したのですぞ!」と周囲が驚くほどの大音声で叫んだ。相手の眼にはギラギラと激しい感情が漲ってた。植民地時代に日本が行った政策の韓国人への大きな心理的影響をあらためて胸にとどめた。ホノルルでの勤務では、日本の真珠湾攻撃がもたらした現地やアメリカ本土の日系人への多大な苦難を具体的に知った。これらの例はいずれも、やはり現地に行ってみないと被害を受けた国民の心情はわからないものだということを示すものである。
私は、リトアニアの大使として、ロシアとリトアニアの間の「歴史問題」を当事者ではない第三国の者として冷静に観察することができた。ソ連は独ソ間の密約によって1940年にバルト三国を併合した経緯がある。リトアニアは独立後の2004年にNATOと EUに加盟したが、それを踏まえロシアに対し併合は不法であり謝罪すべきと要求した。しかし、ロシアは謝罪もせず、種々の嫌がらせを行ったが、私は大国ロシアの姿勢に傲慢不遜さを感じた。翻って、日本の近隣国と摩擦への対処についても他国はじっと日本を見ているであろうことにも思いを致した。
小泉首相が靖国を参拝した時、私はデンマークにいた。デンマークでもこのことが大きなニュースとなり、私は日本大使としてテレビのプライムタイムに呼ばれ質問を受けた。「なぜ戦犯が合祀されている場所に総理が参拝するのか」という点に関心が集中し、私がいくら答えてもテレビ司会者からの執拗な追求はやまなかった。北欧の一国からもこのように見られていることを知った。
日本の「歴史認識問題」はいまや国際化してしまった。今般「安倍談話」が作成されることになって、近隣国からその内容についてしきりに牽制球が投げられているが、あまり愉快なことではない。過去の歴史問題についての近隣国からの継続的な日本批判が世界的に報道されるようにもなったことがアメリカなど第三国の対日観にも影響を及ぼしている。米主要紙が安倍総理について「歴史修正主義」と批判することがアメリカの官民に影響を与えてもいる。アメリカ政府は日本にも近隣国との関係を改善してほしいとの期待も表明している。しかしながら、日本は今でも「歴史問題」を依然として克服できないでいる。それは国内の言論が統一されていないからである。
私が長い外交官生活で最も悔しいと感じてきたのは、戦後の日本が平和外交や世界中の途上国への開発援助(ODA)などによって誇るべき実績を残し貢献をしてきたにもかかわらず、この「歴史認識」問題が日本外交の大きな足枷となっていることである。過去の歴史を巡って近隣国と軋轢が繰り返されてきた過程で、日本の対応はしばしば裏目に出てしまった。植民地統治、慰安婦、南京虐殺などの問題についての批判に対する日本の論者の反論や正当化が、逆に一層の日本批判を増幅したこともたびたびある。総理など歴代の日本の指導者が累次にわたり反省やお詫びの言葉を述べても、日本の国内ではそれに異論を唱える者がいる。国論が統一されていないので、海外からは日本の公的な反省やお詫びに対する信頼感に繋がらないのである。さらに、中国や韓国は「歴史認識」問題を通じて世界的規模で反日広報外交を展開している。韓国は慰安婦問題を« sex slaves »などの言葉で世界的に喧伝し、慰安婦像を建てたりする。2005年に日本が 安保理常任理事国入りを目指してドイツ、インド、ブラジルなどを連携して世界的な外交運動を展開すると、中国は歴史認識問題を取り上げて世界中に「日本に常任理事国の資格はない」との大々的な反対キャンペーンを張った。韓国も日本の常任理事国入りに反対したのである。慰安婦問題を巡る軋轢が世界に知られるようになると、今度はアメリカの下院で日本政府に慰安婦問題での謝罪を勧告する趣旨の決議案が採択されてしまった(2007年の米下院決議121号)。この決議はその内容やプロセスに問題点もあり、日本の保守派の言論人がワシントン・ポストに意見広告を出したが、これもまたアメリカでの批判を呼んでしまった。根拠なき批判に反論することは重要ではあるが、アメリカなど欧米社会では慰安婦問題は女性の人権問題として捉えられていることから、各論での反論では説得できないのである。
過去の歴史問題に対処することについて、しばしばドイツと日本が比較される。ドイツは若干の紆余曲折があったが、今や戦争中の行為を非と認めそれを謝罪する点で国論が概ね統一されているので国としての姿勢は一貫している。ナチズムという明白に人道に反する行為であることから国論はまとまりやすいので日本とは状況が異なるが、日本には過去の行為について国民的合意が形成されていないことが問題である。欧州では独仏の和解が実現してそれが欧州統合の大きな原動力になっている。他方で、発展が進むアジア太平洋地域では日中韓関係が円滑ではない。本来日本がリードしてアジア太平洋地域の連携や統合に向かって役割を果たしたいところであるが、歴史問題で中国や韓国に足を引っ張られ協調することもできていない。最近では、中国がこの地域でリードしつつあるようにみられるのは洵に残念である。
歴史認識についてはしばしば「村山談話」が話題になる。「村山談話」を見てみよう。1995年に発表された「戦後50周年の終戦記念日にあたって」と題するこの談話の後段部分で村山総理は、「遠くない過去の一時期、我が国は国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」と述べ、そのことに「痛切な反省」と「心からのお詫びの気持ち」を表明している。
これは、戦後50年にあたって、時の総理大臣が世界に発信した日本政府の公式見解である。多くの国がこの談話を評価したが、日本国内の反応はまちまちであった。安倍総理が本年この村山談話の考え方を継承するか否かが国際的にも注目されている。
中国などはよく日本に対し、「歴史を鏡に」と言い、日本は「未来志向で」と言う。しかし、どちらも必要なのだ。過去にあまりこだわってはいけないし、さりとて過去を忘れてはいけない。我が国の戦後外交には誇るべきものがあるが、それだけを強調しても十分ではない。過去の歴史の事実に対しては謙虚に認める必要がある。それがないと海外からは信頼されないし、過去を等閑視すると国家の品格にも関わることになりかねない。
我が国はどうすべきか。現時点で努力すべきことは「歴史」に対する国民の認識を近づけることであろうし、その場合の基準は「村山談話」を軸に考えていくのがもっとも現実的ではないかと思われる。
被害者と加害者の立場はいつも違う。人間は誰でも家族や親しい人が苦しんだり亡くなったりすれば悲しみ、加害者を恨むのが常だ。国際関係でも人間の感情を理解することが重要で、相手の立場に立って考えてみることも必要だ。過去の歴史を巡る近隣国との軋轢に対処する場合に、「世界の中の日本」という視点を持つことも大事である。そうした意味でも、今月末の安倍総理の米議会演説と8月に発表されるであろう「談話」の内容が世界からも注目されている。
(意見交換)
本日のテーマには様々な考えや立場があるため、講演後の意見交換は活発であった。その主なものを紹介する。
(1)私から、本日のサロンに参加できなかった人から、「他人の茶の間を土足で踏みにじり居座ったこと、他国を占拠することが何を意味するかを首相は思いを致すべき」との趣旨の意見表明が送られてきたことを紹介した。
(2)日本の過去の行動の目的は植民地解放のための聖戦か、あるいは植民地分割への参加と見るべきかとの質問があり、私から、どちらとも言い難いが、朝鮮半島に日本が出て行ったことについて、統治政策の中身に問題はあったが、当時の国際情勢の中で国を維持するうえでやむを得ない面があると考える旨答えた。
(3)これに対し、林房雄氏の「大東亜戦争肯定論」に言及しつつ、真珠湾攻撃はルーズベルトの陰謀、韓国(朝鮮)人はむしろ日本の統治を期待し日本と一体になろうとした人達がいたなどと述べて、私の考えに反論する意見があった。他方で、①私の考えに概ね同調しつつも、近年、日本のこの問題に対する国際的発信は著しく低下して韓国などに連戦連敗、日本は文化的欠落の状況にある、日本の発信力を高めるためには日本人の人間力を高める必要があるとの意見、さらには、②朝鮮半島を植民地化したことはやむを得ないとする意見は認めたくない、子供たちには歴史を教えつつも世代交代が進むに連れて国民感情も変わりうるので未来志向的な関係改善の努力をするべきとの意見、③戦後日本が平和憲法を制定し「戦争放棄」を謳ったことに子供心に大きな喜びを感じたが、この精神を国民に浸透させる仕組みが必要だ、日本として「歴史」を総括できていないが、歴史教育を向上させ愛国心をもてるようにすべきとの意見、また、海外勤務経験の長い人からは、④国際社会では、日本がどのような価値観を持っているかが見えない、そのために健全なナショナリズムやナショナル・アイデンティティを明確にするための内なる努力が必要だとの意見などが相次いだ。
総じて、参加者からは様々な意見の開陳を歓迎する声が少なくなかった。
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(注)
この記事は、終戦後70周年に当たる2015年4月に行った「絆サロン」での私の講演と意見交換の概要である。
この年は戦後70年の節目の年で、安倍総理による談話発出の方針が報道されて国内外の関心が高まってきたので、このサロンで歴史認識の問題をシリーズで取り上げることとし、第1回目は私が体験を交えて論点整理のお話をさせていただいた次第である。
その後他の講師にお願いして、中国の観点を加えた講演(5月28日夕)、韓国の視点も入れた講演(6月15日夕)を行い、総理談話発出後の9月7日にまとめの会を行ったので、ご感心の向きはそれらもご覧頂きたい。