(注)この記事は月刊「柔道」2009年3月号所載の山口香筑波大学大学院教授と私(小川)の対談の転載である。
小川郷太郎 イラク復興支援等調整担当大使
1943年静岡生まれ。東京大学法学部卒。外務省に入省し、フランス、ボルドー大学で研修した後、フランス、フィリピン、旧ソ連、韓国、ホノルル、カンボジア、デンマークなど各国を回る。2007年外務省を退官。現在、外務省参与。イラク復興支援等調整担当大使。著書に『世界が終の棲み家』
今回はイラク復興支援等調整担当大使としてご活躍されている小川郷太郎氏を外務省にお訪ねしました。
大使は今まで数多くの国に行かれていますが、最も印象に残った国というとどちらになりますか?
小川 私の仕事の観点からいいますと、カンボジアが一番やりがいのある国でした。広くたくさんのことを学びました。次に韓国、旧ソ連。滞在期間から言いますとフランスが最も長く、柔道も一番やりました。生活文化という面ではフランスに惹かれますね。
フランスといえば柔道が盛んで、非常にしっかりと自分の考えを持ち、自己主張される国民性がありますね。大使はフランスの柔道家たちと稽古だけではなく、議論などもされましたか?
小川 稽古の後、酒を飲みなからケンケンガクガクやりましたね(笑)。たとえば、日本では柔道をこんな考えでやっているとか、日本のやり方にはこういうことがあるといったことを話しますと、彼らは非常に関心を示します。日本の柔道、特に精神面にとても関心を持っているからです。自己主張が強いと同時に、異文化に対して強い好奇心を持っている。関心と聞く耳をあわせ持っているんです。そのあたりはすごいと思います。
フランスの方が日本よりも登録人口が多く、柔道が盛んだということは日本人の多くが知っています。なぜ、フランスで柔道が広まったのか。大使の目にはどのように映りましたか?
小川 数字の面での比較には若干誤解もありますね。それは別として、私が最初にフランスに行ったのは1969年なんですが、当時すでにどんな小さな村に行っても、必ず一つは道場がありました。しかも、道場には老若男女、さまざまな年齢、階層の人たちが集まって柔道をしているというほど普及していたのです。その背景にはもちろん、フランスに住み着いて柔道を教えられた川石酒造之助先生、粟津正蔵先生、道上伯先生といった先生方の貢献があります。その指導に対し、フランス人が興味を持った。なぜ興味を持ったのか。思うに、一つは柔道の動作には物理的合理性があるため。相手を崩し、バランスを失わせた中で投げたり技を掛けたりすれば、大きな力はなくても相手を倒せるというところが論理的なフランス人の頭に入りやすいからです。もう一つは、先ほども言いました通り、フランス人は異文化に対して非常に高い関心と敬意を持っています。柔道は東洋精神とか、禅、武士道といったものから発しているということを何となくわかっていて、そこをもう少し探求しようという気持ちがある。そうしたことから、フランス人は柔道に惹かれたのではないかと考えています。また、日本では学校、警察などで柔道をやっており、練習も非常に激しく、誰もが入っていける状況ではありません。だから、おのずと柔道人口は限られてきます。フランスはもう少しゆるやかで、気楽に柔道をやれる仕組みになっていますので、小学生から50代、60代の女性にいたるまで、それぞれの体力にあった形で楽しみなから練習することが可能になっています。それが柔道人口の多さにつながっているのでしょう。ちなみに登録人口についてですが、道場に入ると必ずケガをした時の治療のために安い値段の保険に皆入ります。それが登録されて、全国統計にすると50万だ、60万だということになるのでしょう。そんな要素がフランスで柔道が盛んな理由ではないでしょうか。
柔道をやっているフランス人は、日本人、また日本の柔道に対してどのような感覚を持っているのでしょう。
小川 嘉納治五郎師範には非常に高い関心を持ち、勉強していますね。これはフランスに限りませんが。そんなことから、伝統に基づいた正しい柔道をやっていきたいという気持ちを非常に強く持っていると感じています。だから、日本人が今、柔道が抱える様々な問題に対してどのように考えているかということに対しても関心があると思います。
日本柔道の考え、理念といったものは、フランスの方にある程度正しい形で伝わっているとお感じですか?
小川 長く柔道に関わっている人には伝わっていると思います。しかし、残念なことに、日本からの発信が非常に少ないものですから、日本柔道界のリーダーたちが今、どのように考えているかといったことは、あまり伝わっていないのではないでしょうか。
確かに、柔道に関する書籍といったものの発行は、諸外国に比べると非常に少ないみたいですね。
小川 日本語ないし、外国語で発信していくことは非常に大事だと思いますね。といいますのも、今、柔道が大きく変化してますでしょう。ルールも変わってきています。石井(慧)のような選手も出てきて話題になっている。そうしたことに対して、日本の首脳陣はどのように考えているのか。そういったところに、大きな興味を抱いているのです。だからこそ、それに応えるものを、日本は出していかなければいけません。また、フランスだけではなく、私か勤務したデンマークというとても小さな国でも、日本の武道に関心を持って学んでいる人たちがたくさんいました。礼儀なども含め、学ぼうとしている人たちです。そういう人たちが世界中にいるということを日本は忘れるべきではありませんし、日本はもっと模範を示さなければいけないと思いますね。
日本は柔道大国のため、あまり努カしなくても柔道はなくならないというような、安泰の意識があるような気がします。それに対して、諸外国はやはり努力しています。ただその努力が日本の古くからの柔道に対する観念的なもの、価値観というものと、どうしても文化衝突するといったことが見られます。その代表的なものがブルー柔道衣の問題でした。こうしたとき、相手のメソツも立てなから、対処していく方法など、何かお知恵はありませんか?
小川 文化というのは、人の心に宿るものだと思うんです。〝そのやり方はおかしい。私たちはこうやってやってきている〟と否定してかかる前に、〝どういう背景でこういう行動が出てきているのか〟と考えてみると、納得できるところも出てきます。寛容の気持ちを持って相手のやり方を理解し、許容していけば、相手も同じような気持ちを持ってくれる土壌ができ、衝突させることなく、共通の目標の中で協力していくことは可能だろうと思いますね。
〝柔道は日本のものだ〟という意識か強すぎて、変えるということが侵略されたような気持ちになってしまうところが日本人にはあるような気がします。
小川 私もそう思います。柔道衣の色の問題も、一生懸命考えて青い柔道衣ということになったのだと思いますが、日本からするとそれはおかしい、となる。だからこそ、もっと議論していけばいい。もっとも、柔道衣の色自体はあまり本質的な問題であるとは思いませんが。もっと本質的な問題はありますから、そこは少し議論を重ねて見解を出していくことが大事なのではないでしょうか。
しかしながら、日本人は奥手と言いますか、コミュニケーションをとることが苦手なところがあります。
小川 日本には、あまり出しゃばって喋らないことが謙譲の美徳だという評価がありますからね。世界は正反対。みなさんご存知の通り、欧米では自分の主張をはっきりさせることが習慣です。時には真実を2倍にも3倍にもして言っているような人たちが大勢いる。その中で日本人は静かですね。アジアはみなそうかというと、中国、韓国は自己主張が強く、激しく言い合いますし、東南アジアの国々も積極的に発言します。日本は大国でありながら大人しすぎて、非常に損をしているという気がしますね。
謙虚さを大切にしながら自己主張するにはどうしたらいいのでしょう?
小川 積極的な発言の中でも謙虚さは発揮できます。むしろそのほうが相手に対する説得力がある場合が多いんじゃないかと思いますね。たとえば、激しく相手を批判、攻撃するような発言をしながら自分の説を通そうとあからさまにやるのではなく、もうちょっと間接的に言う。たとえば、「ちょっとこれはお耳障りかもしれませんが」といった言葉を入れながら話した方が、いきなり相手の反発を買うこともなく、ではちょっと聞いてみようという気持ちに相手をさせますね。そうした意味で、謙虚さを持ちながら大事なことは必ず伝えていくというやり方をすることが必要ではないかと思います。
しかし、残念ながら日本の柔道に対する考え方、理念といったことを国際社会の中で発信していける人材は育っていない、という印象を私は持っています。
小川 意識して育てることが大事だと思いますね。そのためにもまずは、柔道界の内外から優秀な人材を集め、一緒にやることが大切なのではないでしょうか。同時に、柔道界の中で国際的なことが発信できる人たちを養成していく。先頃、井上康生さんが留学しましたが、もっと若い年代から留学させることも考えるべきでしょう。
私が今、日本の柔道界に一番やってもらいたいのは、国際的な活動を高めることです。試合のルール、運営の仕方などに関して、日本にはどうあるべきかという考え方があるわけですから、それをベースにいろいろな国に伝え、働きかけていく。そのためには人員が必要です。200力国もの加盟国を持つIJFを相手にしなければいけないのですから、2、3人でやれる話ではありません。〝国際的な柔道の正しいマネイジメントは日本か指導していくべきだ〟という気持ちを持って、そのための人材を内外から大勢集めて動いてもらう。たとえば、企業の駐在員として海外で暮らした経験のある人、あるいは青年海外協力隊、シニアボランティアで柔道を教えた人など、それなりに人材はいると思います。そうした人たちにも手伝ってもらって、いろいろな国で活動してもらうというわけです。そのためにはもちろんお金も必要です。財政基盤を全体としてどうするか、考える必要がありますね。選手の強化や国内でいろいろな大会を運営していくことも大事ですが、国際的な柔道のマネイジメントに対しても一つの戦略を持ち、その活動を支えるための財政基盤を高めるためにはどうしたらいいのかを検討する。財政問題についても、さまざまな考えを持った外部の人々に協力を請い、構想を作ってもらうということも大事でしょう。
そしてもう一つ、国際的な提携をもっとしていくべきです。柔道が変化していく中で、どのようにしていくのか。いろいろな国と話し合って、提携してやっていく。柔道の本来の精神に基づいた運営に関心を持っている点ではフランスがやはり一番ですが、ロシアや韓国にもそういう人たちはいます。そうしたいわば柔道大国の人たちと日常的に話し合い、さまざまな考えを説明し、向こうの考えを吸収して、それではこういう形でやっていこうと連携していくことが必要です。また、選挙運動も大事ですから、そんな観点も含めながら、途上国の柔道連盟に対しても働きかける。指導者を派遣したり、柔道衣や畳などで協力し、支持を高めていく。そうして、日本の考え方をどんどん積極的に出していく。そういうことを是非やっていただきたいと思います。
北京オリンピックでは男子が金メダル2つ、女子が「金」2つ、「銀」1つ、「銅」2つということで、メダル獲得率としては成功だったのかなと思います。ただ、男子柔道は昔のようには勝てなくなり、そめ要因として、横文字のJUDOと柔道とのギャップがあるのではないか、ということがあちこちから聞かれます。大使はいかがお考えですか?
小川 横文字のJUDOが話題になってくること自体、おかしいのではないかと思っています。「あんなルールでやるから勝てないんだ」といったことを言うのは、むしろ怠慢ではないでしょうか。そこを日本が指導、修正していくことが重要で、そのために国際マネイジメントに関わる、各国と連携する、発信をする。この3つの意識を持ってやらなければいけないと考えます。
私たちの時代には、世界中の人たちの日本の柔道家に対するリスペクトのようなものがあったと思うのですが、最近の選手はどうもそんなオーラが影を潜めてしまっているような気がしています。
小川 私も同じことを感じますね。泰然とした姿勢というのはやはり大切ですし、それを示すことによって敬意を持って見られるようになるのですが、最近では日本も礼儀が乱れ、勝ってガッツポーズをする選手が出てきました。これはちょっと見苦しいような気がしますね。
オリンピック競技となり、柔道は日本のお家芸というプレッシャーもあって、金メダルを期待されているから仕方ないところもあると思います。ただ、金メダルを獲るというところにあまりにも重点を置きすぎて、本当の柔道の意義、意味といったところの教育が少し疎かになってきているような傾向があるようにも思います。
小川 全く同感です。メダルを獲らなければいけないというトラウマみたいなものにとらわれているように見えますね。メダルも重要ですが、しかし、それが柔道の大目的ではありません。選手強化の中で、メダルが獲れなければとれないでそれは受け入れるしかありません。そこにこだわるあまり、正しい柔道のあり方や柔道の精神面を世界に示していく努力が非常に疎かになってしまっている。今、日本はそういう状態なのではないかと思います。
話は変わりますが、最近の若い柔道家の人たちが世界に向けて出ていくというのが、ちょっと前に比べても減ってきているような気がしています。内向きになっているといいますか。
小川 日本全体が今、非常に内向きですね。なぜこうなってしまったのか。よくわかりませんが、私の勝手な推測ではバブルが弾けた後、日本経済の不調が長過ぎて、世界に目を向ける傾向が弱くなってきたのかもしれないと思っています。もう一つは、パソコンや携帯の小さな窓を通じて世界中の情報が集められるようになり、特に若い人たちはそうした機器を通じて対話をするような傾向が強まった。それが実際に世界を見てやろうという気持ちを弱めているのかもしれません。
その他にも、私を含めて、日本人には語学というハンデがあります。それで二の足を踏んでいる人も多いのではないかという気がしているのですが、大使はさまざまな国に行かれて言葉を学ばれました。語学力の上達の秘訣がありましたら教えてください。
小川 日本人同士でも自分の意思を表明しないところが日本人にはありますので、まずはそこを改めることが先決ですね。語学の習得に関しましては、小さな時から生の外国語を耳に入れること。これが大切です。私は高校生の時から、日本語で文法を通じて勉強していくという日本の学校教育が意思伝達能力、ヒアリングの能力を妨げていると考えています。何よりも、生の外国語を耳に入れ、外国語で物事を考えていくことに慣れなければいけません。そのためには、小さい時からアニメや映画などを原語のままで見る機会を多く持つことがいいでしょう。できれば、若い時に留学すること。いろいろな人と接してみると、面白いことがたくさんあります。文化の違う外国に行くと、ハッとしたひらめきに出会う時があります。人間形成に役立ちますから、そういう意味でも外国に行ってみようという若い人が増えてほしいですね。
柔道人もそういう意味で、学ぶというより世界の文化に触れてくることが必要ですね。では最後に、小川さんは現在も週一回、柔道をやっていらっしゃるそうですか、そこまで続けて来られた柔道の魅力をお聞かせください。
小川 2006年に日本に帰ってきてからは、週一回を目指して丸の内柔道倶楽部の道場で年相応に練習しています。その魅力と言いますと、そうですね、柔道の稽古自体が日常生活での気持ちの持ち方、姿勢などにとても役に立っていると感じています。稽古は非常に激しいですから、それを続けてきたことで、苦しいことなどにもある程度、泰然として耐え、前に進もうとする力が養われたのではないかと思います。そして、礼儀や相手に対する敬意、そうしたところに効果を感じているからこそ、今もまだ柔道を続けているのでしょうね。
編集後記 小川氏の言葉の端々に相手を理解する、相手の文化に寛容になる、といったキーワードがありました。外交も結局は人間性、謙虚さと自己主張のバランスということを学ばせていただきました。
山口 香(やまぐち かおり) 昭和39年東京生まれ。6歳から柔道を始め13歳で全日本体重別選手権優勝、以来同大会10連覇。第3回世界女子柔道選手権大会優勝。ソウル五輪銅メダル。現在、筑波大学人間総合科学研究科准教授。女子六段。id “sentence” の内容がここに入ります