柔道と私

遅く始めて生涯柔道へ

 コロナ禍が長引いて巣ごもり時間もすごく増えたたためか、喜寿を迎えた老骨の身だが身体がナマって来た感じがする。それで、長い散歩のついでにひと目の届かないところで「ひとり打ち込み」(柔道の技をかける練習だが通常は二人でするもの)をしたりする。シャドーボクシングみたいなもので、他人が見れば「何をしているのだろう、あいつは馬鹿ではないか」と思われるかもしれない。

 中学の時まで真顔で巨人入りを夢見ていた野球少年だったので、柔道を始めたのは、静岡高校在学中AFSで留学することが決まってからだ。周りから「日本人として何か特技を身に着けて行け」と勧められて、アメリカ出発の半年前に慌てて柔道部に入部し受身から練習を始めた。帰国後一浪して大学に入った時、入部したい運動部が野球部をはじめいくつかあり迷ったが、黒帯をとりたい一心で柔道部を選んだ。卒業後外務省に入省したため海外生活も頻繁だったが、日本でも海外でも柔道を続けた。退官後は東京の丸の内柔道倶楽部に所属し、細々ながら稽古を続け、時々試合にも出る。私の柔道歴は今年でちょうど60年になる。

 稽古は苦しいし怪我も数多くした。ガニ股、すり足の体型で女性にもモテず悔しい青春時代だったが、なぜ俺は柔道を続けているのかと自問することがある。辛いから止めようかと感じると、ほぼ自動的に「この意気地なし奴が」と自分を叱咤する声が出てきて続けている面もあるが、柔道を続けてきたお陰で足腰はまだ暫くもちそうだし、それ以外にも重要な効用があると最近思うようになっている。

稽古で心身にみなぎる力が湧く、稽古の継続で人格が陶冶される

柔道の練習は密着して格闘する行為なので苦しいことが多いが、だからこそ心身が鍛えられる。白帯で入部した大学時代は、よく先輩から投げられたり締め落とされたりした。抑え込まれると息もできず苦しい。「参った」をしても緩めてくれず、「参ったをするな」「逃げろ」と叱咤される。手を緩めてくれないので必死に逃げようともがくうちに、少しずつ力がついてくる。「なにくそ魂」が鍛えられ少し強くなると、今度は自分が相手を投げたり抑え込んだり関節技や絞め技に成功して、密かな快感を味わうこともある。全力で肉体をぶつけ合うだけに、終わった後の爽快感は何ともいえないし、闘い合った相手への敬意が自然に湧いてくるので柔道の仲間同士の間では親近感や信頼感で心が結ばれる。

 外務省での東京勤務のとき、冬にはよく大学や警察に寒稽古に出かけた。暗いうちからの練習で勤務前には職場に戻るが、ちょっと疲労感が混じった心身の充実感で、「ようし、やるぞ」と全身に力が漲る感じがしたものだ。それだけではない。辛いことを継続してやることで人格が陶冶されるのではないか。柔道を続けていると、少しのことで慌てたりへこたれない精神が形成されてくるようだ。振り返ると、社会生活で相手と対峙する時の冷静さや落ち着き、辛抱強さが養われたと思う。2003年、私がカンボジア大使をしていたとき、アメリカのブッシュ大統領がイラク戦争開始に踏切り、小泉首相が直ちにこれを支持した。カンボジアはイラクとは無関係ではあるが、私はこれは日本にも影響のある外交上の重要な問題であると考え、内部で公式に異論を唱えることとした。一介の役人が首相の決定に異議を申し立てることによって何らかの処分を受けるかも知れないという思いも頭をよぎったが、躊躇なく行動した。長い間の稽古を通じて、怠惰や恐れに負けてはならじ、信念は貫くべしとの気概が無意識に身についたのかも知れない。

柔道は人々を繋ぐ「世界の無形文化財」

 外務省に勤務したことで、海外生活は7ヵ国、合計23年に及んだが、7ヵ国のすべての国で柔道をした。特に最初の勤務地のフランスは柔道が盛んで、多くの道場に出かけた。汗をかいて外国人と組み合い、稽古後にビールで乾杯して談論して友好を深める。自分にとっては相手の国のことを知り、相手に日本のことを話す良い機会になる。地方訪問でも多くの柔道家と出会い、一宿一飯の恩義に与ることも一再ではなかった。1970年代から80年代にかけて何度もアフリカに出張したが、そこで驚いたのは、貧しい国のどこでも柔道をやっている人がいることだった。道場も畳も柔道衣も殆どなくても、稽古の始めと終わりに若者たちが正座して日本語で「先生に礼」と号令して練習していた。壁には古びた嘉納師範の写真が貼ってあったのを見て、柔道に向かう真摯な姿勢に感銘を受けた。頻度は少なかったが、柔道強国である旧ソ連のモスクワや韓国でも柔道をした。自分より強い者が多かったが、稽古をすればすぐ親しくなれる。ハワイでは日系人の道場で稽古をした。カンボジアやデンマークでは大使を務めたが、大きな行事や王族の臨席のもとでデモンストレーションも行った。日本の柔道仲間から「お前は海外でも柔道をして遊んでいる」と冷やかされるが、今日、柔道が世界中の人々に信奉され愛されて浸透している様を見るにつけ、私は「柔道は世界の無形文化財」だと主張している。柔道は世界の人々を繋げる力がある世界的な「文化」だから、日本大使館としても柔道を活用することが重要だと、後輩の大使たちにも伝えている。

改めて思う嘉納治五郎師範の遺訓の偉大さ:「精力善用」「自他共栄」

世界中に柔道が浸透しているのをみると、人々が嘉納師範の思想を信奉していることが大きな要因だと感じる。自分も歳を経て「精力善用」「自他共栄」の価値の重要さを益々強く感じ、これに沿って生きていきたいとも思う。幸い、最近も日本の学生と一緒にアジア諸国の柔道指導に巡ったり、ブータンやカンボジアに柔道場を作ることに関わったり、「自他共栄」を目指す山下泰裕先生や井上康生先生のNPOで途上国柔道支援をお手伝いする機会も頂いている。

柔道は強いに越したことはないが、私自身は強くなかったのを悔いてはいない。強くなくても強くなりたいと思いながら続けることで人生は充実したものになる。乱取りや試合で何とかポイントを得たいと思う向上心も残っている。世界の人々と交わり、柔道の価値を悟り、心を寄せ合う終生の仲間も出来た。柔道のお蔭で人生が充実したものになった。多くの若い人に柔道をやってほしいと切望している。丸の内柔道倶楽部の仲間には親子三代の柔道一家もいて羨ましい。私もこれまで息子や孫に柔道をやるように説得を試みてきたが、成功しなかった。昨年生まれた3人目の孫を密かに狙っている状況である。

 

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東大柔道部時代(1968)
フランス・ツール市の道場主との稽古のあと(1969年)
カンボジアでの稽古(2003年