小川郷太郎
(折々の思い8)
日本と海外を行き来していると、各国の国民性の違いに気付いてとても興味深い。個々の国民性がその国の長所だったり短所だったり、あるいはその両方だったりする。
フランスやデンマークに住んでわかったのは、幼児のときから自分で考え、意思表示をする教育が自然とできていて、長じてこれが自立心や個性を強める効果をもつことだ。2度目のフランス勤務のとき、長女は小学校低学年、次女は幼稚園から小学校に上がったが、いずれも現地校に通った。長女がときどき級友を家につれてきて遊ぶのを見ていると面白い。一人の子が、自ら1本指を立てて「僕はこの詩を知っているよ」と叫んでそのまま前に出て、覚えた詩を朗読して得意顔だ。するとそれが終わらないうちに女の子が手を挙げて我先にと別の話を披露する。他の子供達も同時多発気的に自分の得意なジェスチャーを披露したり自分の考えを主張して飛び回る。騒然としているが溌剌として賑やかだ。学校では日常的に先生たちが子供の個性を生かす指導をしている。
デンマークで保育園を見学したとき、ある園児が「何々したい」というと、保育士は優しく「どうしてなの?」と聞いてその子に理由を聞く。園児が答えると、それにさらに質問を投げかけるなどして自分の頭で考えて意思表示るように躾けている。なるほどと合点がいったのは、デンマークでは高齢者になっても出来るだけ人の世話にならないように自立して行動する。後期高齢者が最後まで「自分らしく生きたい」と意識して行動するのは、幼児のときからの自立心の賜物ではないかと思った。制度も周りの人も高齢者を保護するというより、出来るだけ自分で行動するように助ける。
日本はどうだろう。日本では融和や協調性が大事なので、小学校の生徒たちも規律があり協調性に優れている。先生も「みんな先生の言うことをよく聞いて」、「みんなで仲良く一緒にやりましょう」的な方向に引っ張りがちだ。長女は帰国して4年の3学期に初めて日本の学校に通い始めたが、フランス式の個性教育の成果を発揮して行動したため、親の私は先生から「あなたのお子さんは個性が強すぎて」と批判的評価を頂戴したし、娘もクラス仲間から随分いじめられたらしい。
「和をもって貴しとなす」という日本の優れた精神性は他国の人々にも煎じて飲ませたいのだが、他方で、日本ではあまりにも協調性を求めたり、人々を過保護に扱う傾向が強いのが問題だ。例えば、あちこちのエスカレーターで「危険ですから手すりにつかまってください」「子供と手を繋いでください」と喧しくスピーカーが鳴る。道路工事では至る所に標識や注意書きが置かれているのになお何人かの人を配して通行者を誘導する。高齢者の扱いも過保護気味で、彼らの自立心や運動能力を弱めるようにさえ思える。このため多くの日本人が自分で考えて行動する姿勢が乏しくなる。自己主張や個性の発揮を躊躇し、リスクに怯えて冒険を避け、ひいては海外の流れに遅れてしまう。何かあると政府のせいにしたり、「おかみ」に頼ろうとしがちだ。
「融和」や「協調性」は日本人の優れた資質であり、海外に輸出したらいいが、「自立心」は海外から輸入する必要がある。
(2020年10月19日)