小川郷太郎
(折々の思い10)
コロナ禍は昨年末にかけて「第3波」が猖獗を極め、大晦日の東京の感染者数は一挙に1337人となり過去最多を大幅に更新した。昨年10月、菅新首相はオリンピック・パラリンピックについて「人類がコロナウィルスに打ち勝った証として開催」する旨述べ、11月中旬に訪日したバッハIOC委員長と日本側は大会は必ず実現することで合意した。他方で、海外ではもちろん国内でも開催反対ないし懐疑論が高まってきた。
オリンピック代表として決まっている柔道選手を知っていて、彼らや彼女らがオリンピックを目指して長い間命を懸けるかのように血の滲むような稽古を積み重ね、戦いを制覇し、大会延期などで挫けそうなときも強い精神を堅持したのを身近に見てきた私としては、何としても開催してほしいと強く思ってきた。しかし、私の友人で尊敬するある著名なメダリストのオリンピアンの方と話をしたとき、その人は、本来世界が安全で平和な状況の中でスポーツの素晴らしさを通じて国際的な友好を深めるのが目的であるオリンピックを現在の状況下で開催するのは望ましくないと述べた。コロナの現状では参加できない国や選手も増えるかもしれないことを思って、半ば説得されかけた。その後、感染状況がかなり悪化してきたため開催可能性への自信は弱まったものの、結局それでもやはり実現すべきだという考えに立ち戻ってきた。それは次のような理由による。
世界中でオリ・パラを目指して精進し代表に選ばれた多数の選手たちが積み重ねてきた素晴らしい技能を世界に見せる機会を奪われる不条理さは、たとえ参加でない国や選手たちとの不公平さより大きいのではないかと思われる。
柔道に関しては、昨年12月に、まだ決まっていなかった66kg級の代表決定戦と4月から延期されていた全日本選手権及び皇后杯(女子の日本選手権)を相次いで開催した。無観客で、会場は日本武道館のような大きな施設ではなく講道館で種々のコロナ対策をとって実施された。無観客であるので観衆の声援や熱気はなかったが、静かな雰囲気の中で試合の質の高さが際立って見えた。ユーチューブとテレビの実況があったので、誰もが一部始終を見ることが可能であった。このような新しい方式では、仮に無観客か観戦者数を相当絞っても世界の人々がスポーツの真価を知り、平和や国際協調を願うことが可能だ。
さらに言えば、1940年に予定された東京オリンピックが日本自身の戦争などで中止になったのに加え、東京オリンピックが2度めの中止の憂き目に合うことは日本人には心情的に実に忍びない。むしろ、観客数を大幅に減らして変則的な形式になったとしても東京オリンピック・パラリンピックを実施した方が、世界にとってもコロナ禍の中でスポーツの価値や効果を再認識する貴重な機会になりうるのではないかと思う。
「コロナに打ち勝った証」となるかどうかはともかく、やはり可能な範囲で最大の防御策をとって実施すべきだ。
(2021年1月4日)