(折々の思い6)

老いと死、お墓のこと

 ずっと昔の若い頃に、「俺は100歳まで生きる」と何の根拠もなく自信を持って言っていた時期がある。きっと健康にも自信があり、やりたいことも多ったからかも知れない。でも後期高齢者になったいまは全く長生きに執着しない心境にある。高齢者で生きることは楽しいこともあるが、体や頭が動かなくなると自分自身が苦労するだけでなく、周りの人や社会保障制度の大きな負担になるのは必定である。そういう例をいくつか見てきたので、何とか「ピンピンコロリ」と行きたいものだとしきりに思うようになった。たとえ病の中で死を迎えるとしても延命装置もせず平常心で早く逝きたい。だから、ともかく元気なうちに断捨離をして身辺をきれいにし、子供や孫への申し伝えの備えを急ぎたいと思う。

 さて、死ぬとなると墓のことが問題になる。自分の両親の墓は郷里の静岡にある。両親には心底からの感謝と愛着の念があるし、墓所は今棲んでいる東京から200キロもないので、墓参りは面倒どころか心をこめた父母との再会の機会でもあるので嬉しい気持ちでやっている。かつてホノルルに住んでいたとき、日系人がよく花を持って墓参りに行く習慣を見た白人系の住人が、子孫たちが代々にわたって先祖を敬う日本の風習を素晴らしいことだと称賛していたの、内心誇らしく感じたことを思い出す。

 だが、自分の番になって考えてみると、墓の問題には厄介なことも多い。私は長男なので、普通なら自分の骨は静岡の両親の墓に収められることになる。だからといって自分の子供や孫やさらにそれよりあとの世代まで静岡に墓参りに来させることにはいささか躊躇がある。先祖を敬う気持ちを養うのは美風であることは間違いないが、孫や曽孫たちが東京から遠いところ、さらには外国に住んだ場合にはなおさら墓参りは大変だし、墓の管理は出来ないだろう。

 私は自分の骨は駿河湾に散骨してもらいたいと強く思っている。小さいときはよく駿河湾で泳いだ。海原を眺めて、あっちが外国だなと思ったりした。子供や孫たちに墓参りの負担をさせたくないという気持ちもさることながら、自分が静岡高校時代にアメリカに留学した経験が世界への夢を掻き立て、結果的に外交官になり世界を行脚したため、退官した後は「世界が終の棲み家」であると実感しているからでもある。自分には土地への執着はあまりない。散骨は望むところだ。しかし、散骨してもらったとしても今ある両親の墓は誰が管理するのかという問題は解決しない。両親の墓を管理するのは当然「長男の努め」だから、私が生きている間はできるが、私の死後に自分を知らない曾孫たちにまで私の両親も眠る墓の管理を委ねるのか。両親の墓は「永代供養」として管理を委託することも考えられるが、私の姉や妹は納得しないかも知れない。

 どうしたらよいか、依然として心の葛藤があるが、元気なうちにこの問題も解決しなければならない。

          (2020年6月22日)