フランスという国

 

(注)以下はやや独断と偏見が混じる私(小川)のフランス論である。2013年5月にフランスの特別企画旅行を実施する準備の段階で気ままに書いたもの。最初にお断りしておくが、私は比較的若い時期に2回にわたり合計7年半をフランスで過ごしたため、ちょっとこの国を偏愛しているのかもしれない。しかし、自分の心のうちでは、本当にフランスって面白いし、素晴らしいなと思っていて、その理由にそれなりの自信を持っている。だからこそ偏愛なのかもしれないが、まあ聞いてください。

 フランスという国のどこが面白いかというと、その地政学的位置と歴史からくるものがある。ヨーロッパ大陸のほぼ中央に位置し、何世紀にもわたって民族が大移動した舞台となったことが、この国のありようを形づくっていると思う。ローマ人に占領されたり、ゲルマン民族が走り回ったり、また王制がかなり長期間にわたって栄えたかと思うと、市民が実に血なまぐさい革命を起こして王制を倒した歴史があり、自由・平等・博愛の精神が強く根を張っている。近世には2度にわたった隣国ドイツとの激烈な戦争を体験した。こうした要素が、フランス人をとてもコスモポリタンで、自己主張が明確な個性のある国民にしていると思う。

 つまり、歴史を通じて異なる民族が日常生活のなかで身近に住んでいるのでフランス人は異なる考え方に接して広い視野が育まれ、あるいは異なる民族と対峙したり融和したりする歴史を通じて、言葉を用いて立場を明らかにして自分を守っていく姿勢がDNAに刻まれたような気がする。他方で、異国人と混じり合って生きてきたせいか、フランス人は、日本人と違って「外人」と自分たちをあまり区別しない傾向がある。卑近な例を挙げると、フランス滞在中、外見上外国人であることが明白な私がよく道を尋ねられたが、日本では外国人に道を聞くことはしないだろうと思って興味を覚えた。その代り、異なる価値観を持つ人が周りにいるためか、自分の考えをしっかり表現する癖がついているので、フランスでは多様な議論が煩わしいくらい噴出する。日本も変化に富む独自の歴史があるが、大きな違いは、日本は島国であったことも幸いして外国に侵略され、征服された経験がない。13世紀の蒙古来襲の時は危なかったが、「神風」で救われた。だから、総じて同じ考え方や習慣を持つ国民が仲良く生きてきた。日本人はフランス人に比べるとおとなしくて融和的だ。

 地理的に見ると、フランスの国土は平野の部分が大きく、広々とした畑やゆったりとした丘陵が地平線の彼方まで広がる。ヨーロッパの中央に位置するので、気候は北欧のように寒くもなく、国土は青い空、白い雲を仰ぎながら温暖な地中海に続く。雨も適量に降り、太陽も大部分の国土で気持ちよく注ぐので、空気は適度な湿潤さを含んで土地はとても肥沃である。だから、全国的に麦や野菜などが豊富で、そこかしこに葡萄が生育し太陽の照射や湿度・温度の絶妙な組み合わせのお蔭で世界に冠たる名酒が生まれ、広い牧場で放牧される牛たちの乳からは多様なチーズが作られる。地中海や大西洋、ブルターニュ、ノルマンディーの恵みで海産物も豊富だ。こうして、美味しいものが出揃い、食うに困らない環境の中で旨い物への関心が高まり、フランス料理が育まれてきた。料理は、パリの中の名の売れたレストランやミシュランの星付きの店だけがいいわけではない。田舎に行って小さなレストランに入れば、どこでもだいたい美味く、安いので大満足する。市場に行くと山のような魚介類、新鮮な野菜、チーズなどが所狭しと並んでいる。カキが旬となる秋から冬場には、市場に行って2ダースでも3ダースでも買ってきて、自分の手でそれを開けて、レモンを垂らし冷やした白葡萄酒と一緒に存分にカキを食べるのも楽しみだ。

 私は2度にわたるフランス滞在中にヨーロッパ全土を車で走り回った。その経験で言うと、フランスの風景はヨーロッパ諸国の中でもとりわけ美しい。なぜかというと、適度な太陽の照射と湿度のお蔭か、木々や草の色が心地よい湿潤さを湛えていて他国で見る緑の色よりもずっと美しく見える。(また偏愛癖が!) 空から畑を見ると、肥沃な土の黒々とした色と幾分水分を含んだ柔らかい絨毯のような麦畑や野菜の緑のコントラストは素晴らしい。広い田園の奥の方には細身の教会の尖塔が凛として頭を出し、そこに街があることを示唆している。家や建物の姿かたちも実に味わいがある。屋根や壁の輪郭線はドイツのように定規で引いたような一直線ではなく、手描きのような温もりがある。煉瓦造りで整然としたイギリスの家と違い、壁の汚れやシミなどが古さを湛え、味わいを醸し出す。あちこちに電信柱や電線が醜悪な姿をさらし、高さも向きもまちまちの建物や家屋が雑然と雑居する日本の街と違い、パリの街の中の建物は高さや色・形をそろえ、融合した優美さを見せる。二度の大戦を戦ったがあまり大きな破壊を被らなかったことが幸いして、歴史や古さを湛える町が多い。パリはその典型で、美しい17~8世紀の建物がときどきの修復を得ながら昔の儘の美しさを維持している。パリに最初に行ったのは1969年だが、今でも街全体の景観や雰囲気は少しも変わっていない。感動して、「パリは永遠にパリだ!」とひとりで快哉を叫んだことがある。都会だけでなく村や田園も、色彩的にも、そして形の上でも、楚々として美しい。印象派の素晴らしい風景画は、そうした田園の風景の雰囲気を見事にとらえている。フランスの大きな魅力の一つは風景にある。

 日本人であれフランス人であれ、人は皆千差万別なので、単純に割り切るのはなかなか難しいが、フランス人には抜群の好奇心があることは確かである。とくに異質のものに関心があり、かつそれを理解する能力が高い。異なっているものに興味を感じ、それはなぜそうなのかと自然に考え自分なりに理解しようとする傾向がある。随分昔の話だが、相撲を見たフランス人が、「すごく面白い」といった。まだ外国人力士も皆無で相撲が世界的に知られる前のことで、私は、裸の巨体に褌をまきつけた力士が何度も仕切りを繰り返し、立ち上がったと思ったら一瞬のうちに勝負が決まることの多い相撲は、外国人には到底ウケないだろうと思っていたので、ちょっと驚いて「なぜですか」と聞いたことがある。そのフランス人は、「いやあ、塩をまくのは土俵を清めるためだそうですね。それは土俵を神聖なものと見ることで、素晴らしい精神性だと思います。仕切りを見ていても、真剣そのもので、次第に力士の顔面や身体が紅潮して闘争心が全身に高まるのが感じられます。それに、仕切り前に俵に踵を載せて両手を広げてするあの所作や負けた後でも礼をして土俵を去る姿に清々しい礼儀正しさを感じます」と説明してくれた。ジャック・ドロールという有力な閣僚を外務省が日本に招待した際、京都にお供をしたことがある。三十三間堂を見学した際、ドロールさんは仏像の前に佇んだまま3~4分じっと動かないで見詰めていた。仏像の姿に何か深い精神的なものを感じたようだった。伝統工芸の彫金の作業場を見学したこの大臣は、これまたじっと何分も作業を見続けてこう言った。「作品は実に精巧なものだ。このような細かい作業を辛抱強く長時間ずっと続けて姿勢を崩さない。魂が入っているようだ。ここに日本の発展の秘密を見る思いがした。」時は日本の経済が隆盛した1980年代半ばのことだった。

 フランス人は言葉と論理をとても重視する。小さい時から学校でデカルト的思考方法や三段論法を叩き込まれているからだろうか。ボルドー大学で研修していたとき、友人が些細なことにまで大上段に振りかぶったような議論をしたので、そんな大げさに話さなくてもいいのではと思ったこともある。理屈っぽく延々と長広舌をふるっているのを聞いていると、随分知識の豊かな立派な人だなと思ったりするが、終わってから、はて何を言ったかと考えてみると、大した中身がなかったと思うこともあるが。言葉がフラン人には大事なんだなと思ったことがある。仲の良いフランス人の男女を見ていると、いつも「ジュテーム(Je t’aime:愛している)」という言葉を繰り返し交わし合っている。フランスでの研修時代、友人の女性から時々「私を愛しているの?」と聞かれることがあった。「以心伝心」の文化のある国で育ち、妙な古臭い男の衒(てら)いもあって、私は何度か聞かれても「サムライはそんなことは言わないのだ」「俺の態度を見ていればわかるだろう」としか答えなかったので、彼女は寄って来なくなった。明確な言葉がないと態度だけでは相手の心がわからないのかもしれない。あまり適当な例ではないが、言葉が人間関係を結ぶ重要な要素であり、その度合いは日本よりはるかに強いと思った。フランス人と渡り合うには、言葉と論理を研ぎ澄ましてどんどん話していかないと自分の立場が不利になったり、社会的に存在感を維持できなくなることを学んだ。

 個性もフランス人の特色だ。子供の時から個性を生かす教育をしている。自分で考え意見を述べる訓練がなされ、他人と違う独創的なことは評価される。二度目のフランス勤務は、結婚して妻と二人の幼い娘を伴っての赴任だった。長女は小学校1年、次女は幼稚園だったが、いずれも現地校に通わせた。週末など、長女が時々家に友達を連れてきて遊んでいるのを見ていると実に面白い。小さいのにみな我先にと進み出て、それぞれ子供らしからぬほど気の利いたことを喋ったり、面白い仕草をしたりする。ある子は暗記した詩をジェスチャー付きで得意満面に朗読する。他の子は自分の経験を表情豊かに得意げに説明する。ああ、これがフランスの教育なのかと納得する思いだった。娘もそうした学校の雰囲気が好きなようで、友達と同じように溌剌と振舞っていたが、4年生の3学期に日本に帰国して初めて日本の小学校に通学した。我先にと行動するフランス風の態度は融和を旨とする日本のやり方と合わず、後からわかったことだが、級友から相当ないじめを受けて苦しんだらしい。先生も「お宅のお子さんは個性が強すぎて・・」と否定的に評価していた。

 フランス社会では個性を尊重するから、妙な考えでもそれを排斥せず、子供の時から何故それを良いと思うか説明するように躾(しつ)けられる。だから、他人と意見の違う場合でも堂々と論理を展開して譲らない。100人が賛成して自分だけが孤立しても臆することなく堂々と反対論を述べることも多い。そうした態度は国家でも同じだ。国際会議で孤立しても反対の時は徹底的に反対する。困るのは他の国で、何とかフランスと妥協しようとする。

 フランス人は個性があると同時にコスモポリタンでもある。世界を広く多角的に見る。愛国心が強く、フランス語やフランス文化に強烈な誇りをもっているが、けして排他的でない。自分の文化の良さに確信を持つがゆえに、他国の文化にも関心を持ちそれに敬意を払うのだろう。新しい建築物をつくるときに設計を国際入札にかけ、国籍にかかわらず一番いいと思うものを受け容れる。17世紀頃の伝統的な建物であるルーブル美術館の中庭に作ったガラスの斬新的なピラミッドの構築物も中国系アメリカ人のデザインによるものだ。

 私は、日本が文化の深さでフランスと並び、その多様性においてはフランスを凌ぐ、世界にも稀な文化大国だと思っている。だから、文化に関する好奇心と理解力が優れているフランス人にとって、日本は高い関心の対象である。文化を通じて日本人とフランス人とは相互に理解し合い親密になれる。相性がいいのだ。19世紀後半のフランスに「ジャポニズム」が起こり、今日でも日本の懐石料理からインスピレーションを受けて「ヌーベル・キュイズィーヌ」という新たなフランス料理のジャンルが生まれたことも、こうしたことが背景にあると言える。柔道は世界でフランスが最も盛んだ。創始者嘉納治五郎の考えや柔道の持つ倫理的精神的価値を深く理解しているからだ。60万人と言われる柔道人口の主要部分は子供や若者である。フランスの親たちが、礼儀や精神力などを養成する柔道の価値を子供に身につけさせたいと思って道場に連れてくる。東日本大震災が起こった直後、フランスの柔道雑誌「柔道の精神(L’Esprit du Judo)」がいちはやく「私たちは日本人だ」と題する特別社説を1面に掲げた。要旨は、「我々は柔道を通じて日本の素晴らしさや日本人の心をよく知っている。柔道の稽古を通じて日本人と同じような気持ちを持つようになっている。我々は日本人でもある。今回の信じられないような悲惨な災害は我々に起こっているような気持になる。心から支援したい。」というものだった。

 日本では、フランス人を自分勝手で利己主義的だと見る人が多い。あるとき、フランスを知る私の友人に「フランス人は親切だ」と言ったら驚かれたことがある。実際私の知るフランスの友人は皆とても親切だ。親身になって付き合ってくれる人が多い。最初はある程度礼儀を守りながら付き合うが、すぐに打ち解けて親密になることが多い。フランス勤務時代に子供が通っていた学校の保護者同士として、あるいは近所同士として、気軽に食事で家に呼んだり呼ばれたりする友人が何人もいた。そういう人と、30年40年経っても昔と同じように親しくしている。フランスに行くというと、誰もが「家に泊まって」と言ってくれので、ときどきお言葉に甘えて泊めてもらう。東日本大震災で原発事故が起こったとき、多くの外国の友人たちが心配してくれたが、「日本は危ないから家族を連れてきてしばらく我が家にいてください」と言ってくれたのはフランス人が圧倒的に多かった。

 もちろん、フランスやフランス人のすべてが素晴らしいわけではない。社会の秩序や清潔さなど、日本の方が優れているものも多い。それでも事実は、フランスでは目に入るものが美しく、口にするものが美味しく、感性に訴えるものはしばしば知的で刺激的で、人間性にも温かみがあるというのが私の印象である。8月のフランス旅行では、そういうところを少しでも見ていただきたいと思って日程を組んだ。

 

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