(注)以下は、私(小川)が主宰する「絆サロン」の2014年7月5日の会合の概要である。カンボジア研究家として名高い上智大学教授の石澤先生がアンコール王朝についてて懇切に解説してくださった。
7月5日に行われた絆サロンは、稀有の機会となった。まるで、いながらにしてアンコールワットの素晴らしさをじっくり鑑賞したような気持ちになった。アンコール文明研究の第一人者であられる上智大学の石澤先生が、「アンコール王朝繁栄の謎:碑文解読による歴史発見物語」と題して、160枚以上の美しく、興味深い画像を披露しながら名解説をして下さったからだ。お陰様で、あのアンコールワットの石彫の繊細さと彫り込まれた神話や戦争の絵巻模様や、庶民の生活など、彫像の意味合いを現場で見ている以上に良く理解できたし、あの夥しい数の重い石材をどのように運んできたのか、またどう持ち上げたり降ろしたりしたのかの謎に迫ることもできた。
私のカンボジア勤務の経験から言うと、一度カンボジアに行って生活すると、魅せられて、そこに戻って仕事をする日本人の例は少なくない。石澤先生はそのようなおひとりであるが、一番早くからカンボジアに足を踏み入れ、最も長く、最も頻繁に行っている方であると思う。まさに魅入られて、カンボジアをライフワークとされてもう半世紀以上もカンボジア研究とカンボジア人の遺跡修復技術者の育成のために献身してこられた方だ。
先生が冒頭に情熱を込めて語ったことから推察すると、先生がなぜカンボジアに魅せられてきたがわかる気がした。アンコール王朝は、最盛期であった12世紀の前後の600年ぐらいの間栄えた国だ。最盛期のアンコールの人口は50~60万人で世界でも4番目ぐらいの大都市であったそうだ。村々では稲穂はたわわに実り、食糧は自給自足の生活が確立していた。人々は僅かな資源で満足し、余剰な資源があれば寺院に喜捨・寄進し、王の指揮する都城の建設に協力した。生活の物差しは物質的ではなく、生きる喜びを味わいながら、争うことなく意気軒昂として暮らしていた。まさに「衣食足りて礼節を知る」生活で、ゆったりした時間の中で穏やかな民族性が形成されていった。このような生活の中で、神仏に敬虔な祈りをささげ信仰に生きる人々が考えることは来世のことであり、須弥山思想を持つようにもなった。
石澤先生は、カンボジア人のこのような国民性はいまも昔も変わらないという。確かに、今日のカンボジアは経済発展が持続し、人々の生活では少しずつ物質的欲望が頭をもたげてきてはいるが、やはり大多数は貧しい生活の中で、穏やかで謙虚な姿勢を維持している。そういうところに私を含め多くの日本人が惹かれていくのだろうと思われる。
先生は、豊富なスライドでアンコール遺跡の素晴らしい石彫を解説してくれた。神話にもとづく神々による創世物語、外国人傭兵も用いた戦争絵巻、2351体もあるという美しい女神たちの群像、闘鶏に身を乗り出して見つめる市民生活の一コマ、大きな壁面を天界・現世・地獄の3層に分けて描いた神々や市民、動植物が絡み合う秀逸な構図や意匠など、細かく見るとどれも実に面白い。王女が立つそばで、女官たちが繊細で不安な表情を見せているのは、自分たちが極楽に行けるかを案じている姿だと先生が解説してくれた。広大な石のスペースにこれだけ多彩で繊細な彫刻を施すのも驚きだ。太陽が沈む際には、光が浮彫りの彫刻に刻々と変化する色合いや陰影を投影する。そういう光の効果を考えて彫り込んだ古代人の芸術性に驚嘆もする。
スライドは大写しなのでとても迫力があった。現地に行って時間的制約の中で彫刻を見て歩いていると気付かない多くのことを学ぶことができた。
石澤先生は、あの膨大な数の石材をどこから掘り出し、どのように運んだのか、重い石をどう持ち上げ、降ろし、積み上げたのかなどについて、自ら現地で実験などを繰り返して、その方法を推定された。目を見張ったのは、竹を組んで作った筏の下に石材を吊るしても石に浮力があるので筏は沈まない、筏の下に石を吊るして川を使って運んだという推定だ。
石澤先生は50年以上にわたるカンボジアへの関わりにおいて、最初から一貫して遺跡修復を担うカンボジア人の人材育成に尽力してこられた。ポルポト時代に亡くなったり行方不明になった修復技術者の後継を育てるため、ずっと努力されている。先生は、「カンボジア人による、カンボジア人のため修復」という理念をもたれ、カンボジア人が貴重な民族遺産を自らの美意識や文化に基いて修復することを支援しようする姿勢を堅持し、強い情熱も持って行動されている。私もカンボジア在任中に何度もその現場を見せていただいた。現地には上智大学アジア人材養成研究センターを置いて活動にあたっているが、この日の講演では修復活動の現場の様子も多数のスライドでよく知ることができた。
2001年、そのセンターを拠点として行っている考古発掘調査において、「世紀の大発見」があった。バンテアイ・クデイ寺院の近くでの現場実習を兼ねた調査で274体の仏像を発掘した。カンボジアでこのような大量の仏像が発見されたのは初めてで、この発見により、それまでの通説が覆され、アンコール王朝末期の歴史が塗り替えられたそうだ。発掘された仏像は、イオンが現地に寄贈したカンボジア建築の素晴らしい美術館に収められている。
今回の講演では、アンコール遺跡の魅力や歴史が興味深く語られ、石澤先生を中心とする現地での活動について臨場感をもって知ることができた。
すでにアンコールワットを訪れている人は、もう一度行ってじっくり見てみたいという気にかられ、これから行く人にとっては格好の事前勉強になったことと思う。
絆郷のカンボジア旅行は明年1月14日から21日までを予定しているが、上智大学の修復支援現場も見せていただきたいと思っている。
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