(注)以下は2015年に行った私(小川)が主宰する「絆郷」第2回カンボジア特別企画旅行の概要報告である。
1月14日から21日まで絆郷第2回目のカンボジア旅行が行われ、総勢15人は無事帰国した。参加した人たちは、とても楽しかった、学ぶところが多く感銘を受けたなどと言ってくれた。主催者としてこんなに嬉しいことはない。実際、カンボジアに3年勤務してその後も何度か行ってみた私にとっても、新鮮な感動がいくつもあった。
プノンペンとシェムリアップ並びにその周辺を見て回る8日間の旅の目指すところは、アンコール遺跡をはじめとするカンボジアの文物や現状に触れ現地の人々と接することを通じて、この国の魅力を探り、日本とカンボジアの絆を知ることである。
アンコール遺跡の壮大さと繊細な石彫が語る物語、アンコールワットの背後に昇る朝日の神々しさ、トンレサップ湖の水上生活の興味深い様相、朝、池の水面に咲く睡蓮の可憐な美しさ、多彩で豊かなお土産品など、いろいろ楽しんだが、ここでは人間的側面に焦点を当てて、私なりの旅の感想を書いてみた。
人なつこい子供たち、真剣に取り組む姿、目の輝き
脚本家の小山内美江子さんが主宰するNPO法人「JHP・学校をつくる会」がプノンペンで運営する孤児養育施設(CCH : Center for Children’s Happiness)を訪問した。親がなく生きるためにゴミ山で売れそうなものを探し集めていたような子供たちを引き取って、学校に通わせるなどして育てている。数十人の子供たちが我々の前に整然と並んで迎えてくれ、礼儀正しく日本語で挨拶し、習った踊りを披露してくれた。踊りなどが終わると我々のところにきて丸い純粋な目で見つめて身を寄せてくる。可愛らしさに我々は思わず抱いてあげたりする。片言の日本語や英語での会話なので、意思は十分通じないにしても、気持ちは分かりあえる気がする。「こんなに人なつこいのは、親のいない子供たちが人間的な愛情を求めているのではないかしら」と我々の仲間のひとりが言った。階下の庭に下りて、持ってきたおもちゃなどを渡すと大喜びで、たちまち遊びの渦がいくつかできた。日本から来た大人たちとカンボジアの子供たちが、手を繋いだり遊んだりでの賑やかな交流がしばらく続いた。この施設の活動はもう12年目になる。初期のころの子供たちは立派に成長して、なかには海外に留学している子もいるそうだ。10年余り前の私のカンボジア勤務時代に、日本大使館員の夫人たちが定期的にこの施設を訪問していた。私の妻も、そのころ会った女の子が成長してこの施設の仕事を手伝っているのを目の当たりにして抱き合って喜んだ。ナックちゃんというその子はもう英語で立派に意思疎通も出来るようになっていた。帰国後に妻宛てにお礼のメールも来たほどだ。孤児たちをこのように成長させる小山内さんの教育方針が素晴らしい。
カンボジアで教育支援をしている日本の公益財団法人CIESF(シーセフ)が運営しているビジネストレーニングセンターも訪問した。そこに着くと門から教室まで両側に20歳前後の学生たちが並んでカンボジア風に合掌の姿勢で我々を歓迎してくれた。誰もが優しい笑顔を湛えている。部屋に入るとさっと床の上に整然と座って一斉にお辞儀をして大きな声で日本語で挨拶してくれた。カンボジアに最近漸く日本企業が多く進出するようになったこともあり、ここでは日本企業に就職を希望する生徒たちに日本語を教えている。印象的なのは、若者たちの笑顔と目の輝きが素晴らしいことだ。規律と礼儀の正しさは日本の学生をはるかに優るほどだ。日本語のレベルもかなり進んでいるので、我々一行は日本語で自己紹介し、学生たちと対話をした。こちらが何かを聞くと全員で声を合わせて「ハーイッ」と答える。ここでも学生たちの礼儀正しさと積極性に大いに感銘を受けた。日本人の指導者が、日本語だけでなく日本的な規律や文化をしっかり教えているからだろうが、学生たちにはそれを素直に真剣に学ぼうという姿勢がある。私流に解釈すると、明治期の日本のように、国も、それを担う若者たちも前向きに夢と意欲を持って生きているからだと思う。気持ちのいい思いで会場を後にした。
子供の教育の効果という点で、もうひとつの例に触れたい。私のカンボジアの古い友人のひとりで、並外れた情熱と行動力を持ったRavynn Coxen さんという年配の女性がいる。国内外でお金を集めNKFCという基金を創り、長年バンテアイスレイという地区の極めて貧しい村々の自立支援に取り組んでいる。自立支援活道の一環として村の少年少女たちに伝統舞踊を学ばせている。私たちは村に行って、稽古で磨いたその踊りを見せてもらった。全員の動きが見事に調和してゆったりと舞う。クメール伝統舞踊の特徴の指の動きが実に典雅で美しい。信じられないほど練度の高い踊りで、この舞踊団は1昨年アメリカの主要都市での公演で絶賛を受けたそうだ。訪米前にこれを見たシハモニ国王もこの一団を応援し、前文化大臣でクメール舞踊の国民的プリマドンナであるボッパデヴィ王女が名誉会長に就いているそうだ。学校にも行けなかった貧しい村の子供たちがここまでのレベルに達するには凄い指導者による厳しい訓練があっただろうと推察するが、Ravynnさんはこの子たちにはこの付近の寺院の神々の魂が入っているからだと真顔で強調する。ご関心のある向きは、下記URLをクリックしてご覧ください。
https://www.facebook.com/pages/Banteay-Srei-Hidden-Treasure-NKFC-Sacred-Dancers-of-Angkor/614629601902351
Ravynn女史は、我々を自宅に夕食に招いてくれて、そこでも庭で踊りを見せてくれた。
「今後日本でも披露したいから、ぜひ支援して」と言われてしまった。大きな宿題をいただいた。
ODAの凄い効果、日本式人材育成の成果を知る
国際協力機構(JICA)プノンペン事務所にお世話になって、カンボジアにおける日本のODA活動の全体像の説明を受け、そのあとプノンペン浄水場とメコン河架橋の2つのプロジェクト現場を見学した。前者は、もう20年以上にわたり日本が行ってきたプノンペン市民に安全な水を提供するシステム作りと人材育成の支援活動であるが、JICAによれば、海外から「プノンペンの奇跡」とも呼ばれるほどの輝かしい成果を遂げているプロジェクトだそうだ。数字で見ると、1993年には水道管の不備による水漏れなどの「無収水率」が70%だったが、2005年には10%以下に改善した。東京都は3%程度だそうだが、先進国でも30%ぐらいのところもあるそうである。また、水道の普及率は1993年当時は僅か2%だったが、2011年には90%に改善。水道料金の徴収率はいまや99.9%という、東京を含め先進国の都市でも達成できていない率に上昇しているという。今や他の途上国がプノンペン水道公社の経験を学びに来るまでになった由だ。カンボジア人として大いに誇りに感じているらしい。
このような目覚ましい実績は長い年月にわたる日本からの支援の結果であるが、その支援の内容は浄水場の施設整備だけでなく、それを運営するカンボジア人の育成にある。それが成功したのは日本からの指導者の功績もあるが、それを真面目に学ぼうとするカンボジア側の行政官や技術陣の努力の賜でもある。実際、カンボジア人が前面に立って業務を実施しているところは他にいくつもあった。その顕著な例は、アンコール遺跡修復作業の現場にも見られた。遺跡修復作業においては国際社会の支援があるが、これまで日本とフランスが特に大きな役割を果たしてきた。日本側の態勢は、日本政府アンコール遺跡救済チーム(JSA)と上智大学のアジア人材養成研究センターが中心となっている。私たちが見学した修復現場では日本での留学や研修を受けたカンボジア人が率先して指揮しているのを見ることができた。日本の援助政策の原則のひとつは、被援助国の国民が自ら復興を担うことができるように長い期間にわたり人材を育成する点にある。ここでその成果を目の当たりにしたわけである。
もう一つの視察先はメコン河に大きな橋を架けるプロジェクト現場である。南ベトナムのホーチミン市とプノンペン市を結ぶ国道1号線が横切るメコン河にはこれまで橋がないのでフェリーを使っているが、日本の無償援助で大きな橋を架ける工事が進んでいる。かなり流れの強い大河にがっちりした橋桁を構築して美しい吊り橋が出来つつあった。完成間近な大きな橋を下から仰ぎ見ると、日本の技術の素晴らしさに感激し、完成後に物流が著しく改善し経済発展に貢献するであろうと容易に想像することができる。実は、2003年にもプノンペン北方にメコン河を渡るこの国初めての大きな橋が日本のODAで完成した。当時、私がカンボジア大使をしてた時だが、フンセン首相から日本語の名前を付けてほしいと言われて「きずな橋」という名前を提案して、直ちに採用された。カンボジア政府は喜んで、すぐこの橋の写真を刷り込んだ新札を発行してくれた。今回も新しい橋の名前は日本語で「つばさ橋」と命名されるそうで、近く「きずな橋」と「つばさ橋」の双方を刷り込んだ新しいお札が発行される予定だそうだ。カンボジア官民の日本への感謝の気持ちが表れていると思う。
ODAによる日本政府のカンボジアの復興支援は上下水道、病院、通信施設をはじめきわめて多岐にわたり、また、ハードだけでなくソフト面である各分野での人材育成にも及んでいる。今回は2つのプロジェクトを見せてもらったが、その効果や意義を現場で感じることができた。
ODAは大きな効果をもたらし、現地の官民から深く感謝されている。プノンペン滞在中、私が以前から親しくしているチアソパラ村落開発大臣が一行全員を自宅に招いて歓迎してくれたが、その時の大臣の挨拶のなかに、「日本の納税者に心から感謝したい」という真摯な言葉があった。
カンボジアに魅せられ、献身する日本人たち
今回の旅行では多くのカンボジア人と交流したが、現地で活動する何人かの日本人にも会った。実際にカンボジアに住んでカンボジア復興のために力を尽くす日本人はかなり多くいる。
今回お会いしたのはそのごく一部であるが、10数年から20年以上住んでいる人も多い。そのなかに、森本喜久男さんという方がいる。森本さんは京都の友禅染のデザインをしていいた方であるが、カンボジアの伝統絹織物の素晴らしさに魅入られて、20年来その復興に全身全霊を投じて頑張っている。美しい絹織物の技術を持つ女性たちの大部分はポルポト時代に失われてしまったが、生き残った年配の女性技術者を探し求めて工房を作り、貧しい村の若い女性たちにその技術を移転する活動をしてきた。その間、ジャングルを切り開いて蚕を養い染料になる植物を育てて、伝統絹織物を見事に復活させつつある。森本さんの工房では、すべて手で糸を紡ぎ、天然の草木で糸を染め、素晴らしい品質の織物をつくっている。森本さんは、糸を紡ぐのも織るのも、どれも「心で行う」ものだと強調する。そこで働く女性たちも子供を近くにおきながら作業をさせることによって、女性たちの心も癒され安心して仕事に邁進しやすくなる環境づくりなどにも心掛けている。近代的な経営者の感覚も持っていることに感心した。なるほど、女性たちは長時間一心不乱に心を入れて作業をしている。出来た作品も作った人の個性や心が現れているとの説明に納得できる気がした。
前述したシーセフ(CIESF)が運営するプノンペンの教員養成学校で活動するおふたりの年配の男性は、いずれも日本で教員・教授を退職された先生方だ。そこでの生活が「天国、極楽にいるようでとても楽しい」「すごくやりがいがある」と言って、こもごも嬉しそうに眼を輝かせている。同じく前述の孤児施設CCHの日本人事務所長の木村さんも、かわいい子供たちに囲まれて嬉しそうに仕事をしている。
アンコール遺跡救済政府チーム(JSA)の若い現地責任者や上智大学の人材養成研究センタ―の現場代表もそれぞれ滞在年数が長くなっているが、黒く日焼けした満面に笑みを浮かべて、「とてもやりがいがあり、面白い」と言う。どの人からも嬉々として仕事をしている様子が伝わってくる。
プノンペンに長期間在住の神内さんというご夫妻がいる。ご主人はユネスコのプノンペン事務所長として活躍し、今も国際的活動をしたり、有力な政治家に信頼されて補佐官の仕事もしているが、その奥様は声楽家で、プノンペン芸術大学などで音楽を指導してきた。
プノンペン大学を卒業してカンボジア語の通訳・翻訳を主業務とする会社を興して十数年活躍している山崎幸恵さんにもお会いした。若い女性起業家の社長さんだ。1級建築士でかつてJSAの一員として遺跡修復支援活動に携わった小出陽子さんという方は、同僚であったカンボジア人の男性と結婚してシェムリアップに住みつき、NPO活動などをされている。その他にもカンボジアで2~3年仕事をしたが、また戻ってきて生活する人も何人か知っている。
いずれも旧知の方々だが、なぜ、カンボジアが楽しいのかと聞くと、多くの人が、「カンボジアは人々が穏やかで、親切で助けてくれるので友達になりやすい」「生活のリズムがゆったりしていて心地よい」「規模は小さくても自分の目指すことが実現しやすい」などと、ほぼ共通して挙げる。
他方で、この国で活躍する日本人の大部分の方々の心もとても優しい。上智大学のセンターの代表を務める三輪さんが話されたなかに次のような謙虚な言葉があり、深く印象に残った。「我々は遺跡の修復に一所懸命取り組んでいるが、自分たちはあくまでも外国人である。外国人がカンボジアの魂でもある世界遺産を修復支援することについて、カンボジア人はどう思うだろうか。もし、終戦後アメリカが中心になって京都の寺院や日本の文化財を修復するようになった場合に日本人はどう感じるだろうか。カンボジア人が先頭に立ってやってもらうのがいのではないか」との自省のことばである。この修復活動を指導する元上智大学学長の石澤良昭先生は、「カンボジア人による、カンボジア人のための修復」という理念を掲げている。こうした日本側の謙虚な姿勢が、カンボジア人の琴線に触れるのだろうと思う。
確かに、カンボジア人と日本人は謙虚で心情的に相性がいいように思う。加えて、ここには日本のあわただしい社会環境や日常生活では感じられない、「ゆったりした」時間や空間がある。こういう環境が好きであれば、住み心地よく感じるのは、私の経験からも大いに頷けるところである。時々カンボジアに行きたくなる私の気持ちもそういう背景があるのかもしれない。
カンボジアのこれから
ポルポト時代前後の内戦や政党間の抗争を含めた「失われた30年」というべき時期を過ぎて、カンボジアはここ10年余り顕著に発展している。最近数年の成長率も7%ぐらいで推移している。街には活気がある。日本企業も遅ればせであるが、ようやくこの国に進出し始めている。成長はまだ続く見通しだが、渋滞や格差など、成長や発展に伴う負の現象も見られるようになった。発展に伴って、人々の服装や街の様子に「派手さ」も出てきたが、カンボジアの「心」が失われないことを望みたい。近年中国が顕著に援助量を増やしこの国に影響力を及ぼすようになっているが、日本とカンボジアの心の絆が日本や日本人の努力によってずっと続くことを期待したい。
皆様にも、カンボジア旅行をお勧めしたい。
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