(折々の思い15)私の体験的外国語学習法

(折々の思い15)私の体験的外国語学習法



 我が国では過去何十年も外国語の学び方の議論が続けられている。グローバル化が進む中で有識者会議が何度も英語教育改革を提言したり、文科省が今後の方針を示したりしているものの、現実にはあまり成果はなさそうだ。外国人とそれなりに議論のできる日本人の割合はアジア諸国に比べてもまだ相当少ないのはとても残念だ。

 私は英語教育の専門家でもないので教育法について何ら調査や研究もしていないが、中学生の頃から英語を学ぶうちにどうしても外国に行ってみたいとの思いが募り、当時可能な方法で懸命に勉強した。役に立つかどうか知らないが、その体験をご参考までにお伝えしたい。


 高校まで静岡市に住んでいたが、当時はNHKや民放の英語講座は全て聞いてテキストの暗記に務め、ヴォイス・オブ・アメリカ(VOA)の短波放送は雑音が入って聞き取りにくいものの毎日15分ぐらいラジオの前で神経を集中して聞いて耳を慣らし、外国人宣教師による教会のバイブルクラスに参加したり、市内の宣教師宅を時々厚かましく訪ねて会話をしたりした。ときには英語の映画を見に行ったが原語のシナリオ本を探して事前に予習して臨んだこともある。いろいろやってみると、正しい文章を暗誦するくらいにまで何十回と音読して反復する方法がいちばん効果があるように感じた。繰り返しの音読で、正しい文章がすらすらと口をついて出てくるようになり、中学や高校での英語の試験で「カッコの中に正しい前置詞や関係代名詞を入れなさい」などのような問題が出ると、何も考えずに口調で正しい言葉が出てきた。余談になるが、このような経験から、私は通常の授業で英語の文章を文法的に分析して日本語で「これが関係代名詞だ、これは目的語だ」などと説明するやり方では語学を身につける上でそれほど役に立たないと思うようになり、高校時代に出場した英語弁論大会ではしばしば「私はなぜ現在の英語教育法に反対か」というテーマを取り上げたので先生方にはあまり評判が良くなかった。

 後年外務省に入り、フランスの大学で研修したときも毎日ル・モンド紙の興味深い記事を選んで意味を考えながら反復音読して頭に叩き込んだ。これによって、文章を書いたり友達と議論するときに、きれいな文章表現や単語が前後の脈略で自然に口をついて出てくるようになり、随分助けになったと感じている。だから、いまも確信犯的に、暗記するほど繰り返して音読する反復練習が大事だと思っている。

 近年、子供の時からの英語教育の重要性が強調されるようになった。その関連で、もうひとつ体験を語りたい。デンマーク勤務時代にデンマークでは小さな子どもたちも含めて大部分の人が英語を流暢に話すことに驚いた。デンマーク人にどのような形で英語を学んだか聞くと、多くの人がちょっと考えたうえで、「そうですねえ、そういえば小さいときから英語でテレビやビデオを見ていたからかと思います」と答えた。その点で思い出すことがある。私がモスクワに赴任したとき、末っ子の長男は3歳になるかならないかの頃だった。息子はよくテレビの漫画番組を毎日のようにじっと見ていたが、ある時突然ロシア語で何やら喋りだしてそこにいたロシア人のメイドさんを驚かしたことがあった。しかも、その時の発音はきれいなロシア語で、にわか仕込みで習った私の発音とは雲泥の差があった。単純なことではあるが、幼児の頃から外国語をそのまま聞くことの効果は大きいことは間違いない。アニメ映画などでは画像を見ながら音声が耳に入るので言葉の発音とその意味が頭の中で自然と定着していくのではないか。家庭や幼稚園で幼児に外国語のアニメ映画などを継続的に見せてみてはどうだろうか。


 最後は蛇足だが、外国人と議論するためには遠慮や躊躇は禁物である。語学能力とは別の「図々しさ」が必要だ。フランス人を見ていると数人で話している際、複数の人が同時多発的に話していることがよくある。相手が喋っているのに遮って自分の言いたいことをいう。これまで話していた人も止めることなく競って主張するような精神がある。幼いときから学校や家庭で自分の意志を明確に説明するよう教育されているからだ。ある時、フランス人の弁護士と仕事でやりあったことがある。相手がワーッとたたみかけてきたので、私が拙いながら懸命にいくつかの理由を述べて反論したら、相手はこちらの論理を一旦理解したような顔したが、それでも「ノン、ノン、ノン、なぜならそれはノンだからだ。」と強弁した。相手方に論理はなかったが、この手法を自己主張貫徹の方策として見習って、別の機会に相手に「ノン、ノン、ノン、・・・」とやって仕返しをした。

 議論する場合には、言うまでもなく自分のはっきりした意見が必要だ。デンマーク時代に幼稚園を見学したことがある。ある園児が「私は何々がしたい」と言うと、先生は「それはどうして?」と問い返す。その子に自分の意志を説明させるように躾けていることを感じた。繰り返しそのように訓練されると、小さいときから自分の意志を明確に説明する習慣ができるのだろう。日本の幼稚園や小学校では「先生の言うことをよく聞いて下さ~い」とか「みんなで一緒にしましょうね」的なやり方をするので、大きくなっても先生や政府の指示を待ってそれに従って行動する人が多い。「三つ子の魂、百までも」と言われるが、デンマークのお年寄りは自立心があって、高齢になっても自分の意志を表明して動くことが好きだ。周囲も高齢者を過保護にせず、自分で行動するように仕向ける。やはり、「鉄は熱いうちに打て」である。

 私は生来恥ずかしがり屋であったが、鉄の熱さも冷めてきた頃のある時からこれではいけないと一念発起して自己改造を目指し、出来るだけ人前で言いたいことを言うように自分を鼓舞して図々しさを鍛えた。韓国では大使館で広報を担当していた。韓国のメディアが時々根拠なき反日論を展開するので日頃から議論していたが、ある時主要紙の一面トップで重大な誤解に基づく反日記事が出たので、異例ではあったが急遽記者会見を開き、事実をを具体的に縷々説明した上で、反発を覚悟して思い切って韓国メディアの日頃の報道姿勢を批判した。メディアからは反論はなく、翌日こちらの主張を報じてくれた。その時も、理を尽くして明確に主張する重要さを学んだ。

                           (2021年8月29日)

Judo Kizuna
高校時代に交換留学生としてアメリカのニュー・メキシコ州アルブカーキー市の高校に留学した(1961〜62年)。日本にはない「スピーチ」という科目を選択し、様々な場でのスピーチの仕方を学んだ(私は写真右から5番目に座っている)。