最近パリに帰国した若きフランス人の柔道愛好家がいる。7歳からフランスで柔道をはじめたが、フランスの誇る名門エリート校のエコール・ポリテクニックを卒業してフランス経済財務省に入省後も柔道を続けている。今般日本にあるフランスの証券会社で1年間の実務研修をするかたわら、多くの道場を渡り歩き実に貪欲に柔道の練習をし、また、懸命に日本語や日本の文化を勉強していった、エリック・ユベール( Eric Hubert )という好青年である。 ユベール氏が日本での柔道修行に関する感想を寄せてくれた。日本をやや美化している面が無きにしも非ずではあるが、日仏柔道比較論や寝技に関する考察が示唆に富み興味深いので、そのまま以下に翻訳し掲載する。同氏は、日本の成人柔道における柔軟な乱取練習の効用や寝技復活の必要性を説き、また、試合中「待て」を連発して寝技をやめさせて立たせる現在のルールが、「一本」の減少に繋がっていることを批判している。 (2009年9月記 小川郷太郎)
私は、日本に1年間住むという素晴らしい機会を柔道を本来のやり方で練習することを試みるために活用した。それによって、私は柔道の象徴的要素(柔道衣、繰り返して行う礼など)はヨーロッパに適切に輸入されたとしても、練習方法はそうではないことを知った。
第一は、試合のための高度な練習で、これはその性格上限られた人だけが行うものである。そこでは、体力づくりに注力し、稽古と休憩の時間を正確に測り、組み方を特訓し、最大限の密度で乱取りの重点を実践する。
第二は、一般を対象としたフランスの標準的な練習であるが、その形式は私が7歳で柔道を始めた20年近く前から変わっていない。その内容は、通常まず30分ぐらいのかなり長い準備運動で、5分から10分のランニング、エビ、匍匐前進、バランス運動等多くの動作や軽い筋肉運動(腹筋、腕立て伏せ等)からなる。その後の約半時間は指導者による具体的な技の留意点の研究であるが、指導者が説明して生徒がそれをまねて練習することを交互に行う。最後の30分は柔道そのものの練習に費やされるが、技の練習や通常寝技1、2本、立ち技3、4本の乱取りである。
指導者によるこのタイプの練習方法は、フランスのほぼ全土で踏襲され、また、指導者認定国家試験を受ける若い柔道指導者に対して教えられている。もちろん、このタイプの練習方法は日本にもあるが、日本ではそれは子どものための柔道教室で行われる指導内容ということがわかった。フランスでの練習方法は講道館が実施している6歳から12歳までの小学生のための指導方法の焼き写しである。
60万人の登録者数という世界最大で日本の3倍の柔道人口を擁するフランス柔道連盟の現実においては、毎年新たに黒帯をとった者の半数以上が柔道をやめてしまうが、この事実から教訓を引き出すべきことがある。高いレベルでのスポーツ選手を除き、どうして25歳以上の柔道を習う人が殆どいないのであろうか。在日1年を経た私の結論は、簡単明瞭なものである。つまり、フランスでは高いレベルの柔道と子ども向け用の柔道が行われているが、成人向けの柔道については考えてこなかったということである。
東京では私は約10ヶ所の柔道クラブで練習する機会があった。講道館、大学、町道場、企業の道場などである。これらの柔道クラブは一様でない年齢や職種のメンバーを有しているが、いずれもほとんどが男性で、ほとんどが黒帯を有し、年代的には20歳台から80歳台のメンバーである(70歳台、7段で、最後まで稽古に参加し乱取りを行う何人もの人に出会うのも稀ではない。彼らの溌剌さや技の正確さもまた印象的である)。
なぜ、こうした人たちは柔道を続けているのだろうか。もちろん、日本の文化は異なる。日本では努力はより価値を認められ、グループでの活動や夫婦間の生活の仕方なども同じではない。しかし、最も重要なことは別のところにある。どこが違うかといえば、それは練習のやりかたである。
これらの10ヶ所ばかりの道場での練習の仕方は大体同じである。
稽古に費やされる時間は通常2時間である。最初の1時間の間に、参加者は各自が可能な時間に静かに道場にやってくる。練習の最初の部分はフランスのように厳格ではない。成人の場合、予期できない仕事上の都合のため、このようにしかできないからである。
到着時間によって15分とか30分ぐらい、自分の必要性、年齢、またはそのときの気持ちに従って各自準備運動をする。若い人は多くの場合10分、65歳以上は時には30分ほどかけて、手足を伸ばす。
次に寝技の乱取に入るが、通常は、3分間ずつ10本を続けてやる。もちろん、遅く来たりすると呼吸を整えるため休むことも可能である。進歩を望む者には進歩する可能性もある。
最初の1時間の最後の15分ぐらいは、打ち込みやより注意を払った真剣な技の練習に充てられる。立技の乱取に入る前には、各自が自分の技を自動的にかけられるようにするため5から8種ぐらいの技の打ち込みを20回ずつ行うが、これはあまり動き回らずに行う。最後に道場に来た者やあるひとつの技を特に練習しようとする者は、さらに10分ぐらいを追加して練習する。こうした練習をしない人は稀である。
次に練習の主要な部分である、休む時間を置かない立技の乱取に入る。ベルをかけて,5分を12本とか4分15本の乱取を行う。標準的なやり方は、希望者に赤い帯を渡し、赤帯をしめた者は相手を変えながら乱取を続けるが、ヘトヘトになったら赤帯を他の者に渡すことができる。4分ないし5分のベルが鳴ると、他の者は赤帯をつけた者を選んで乱取を申し込む。どの人も自分の年齢や体調、怪我の度合いに合わせて練習する。若くてエネルギーのある者は畳みに残り乱取を続けるが、年配のものは相手を選び、2回に1回を休んだりする。
いつも最後の5分ぐらいをかけて気持ちを鎮め手足の伸縮運動を行い、そして最後の礼をする。
練習の結果は印象的である。練習によって、12本ないし寝技を入れて20本以上の乱取を、自分の技の基本を是正した上で難なくこなせるようになる。従って、進歩は目覚しい。楽しみという側面も明白にある。乱取の繰り返しや練習相手を頻繁に変えたりすることで倶楽部内での友情の絆が強化される。
子どもの練習方法は大きな差がある。指導者は自分の指導を強要しない。子どもをじっと見守る。打ち込みでも乱取でも生徒を助け、矯正し、求める子どもに助言するため常に傍にいる。私は、13歳の緑帯の子どもから25歳の2段までの者を一括して教えようとするフランスの典型的な練習においてよりも、より個人の状況に即した日本の練習方法において、より多くのことを学んだ。
このような指導方法では、それぞれの者が自分の期待を実現できることになる。ストレス解消を目指してくる忙しい人は喜ぶし、先生は敬意を払われ、生徒はよく聞いてもらえる。
もう一つの主要な違いは、乱取り稽古の完全な活用である。日本では乱取りが成人の練習の基礎となっている。乱取りは最も効果があると同時に最も現実的であり、嘉納治五郎の指導のなかでも中核的な革新でもある。嘉納師範の述べたことの中に、乱取りの稽古が弟子の能力を高め、それによって柔術各派の選手を打ち負かすことを可能ならしめたとの発言がある。柔術では形と完全な試合しか行わなかったのであるし、柔術に対する勝利が柔道の名を世に知らしめたわけである。
日本では、乱取りは死闘というようなものではなく、必然的に二人の対戦者の期待や必要性に合わせて行うべき完結的で自由な練習であると考えられている。練習の最初の乱取りは、いつも柔軟に行われる。意図的に相手を変えて、強い相手とは力や体力を使い、軽い相手とは敏捷性を養うような練習に注力する。60キロの相手とやったかと思うと140キロ級を相手にすることもある。20歳ぐらいの青年を相手にしたあと70歳の先生と練習したりもする。練習におけるこのような相手の多様性は、さまざまな形態に適合する多様な技の習得を可能にする。例えば、小さな相手に大外刈りを、大きな相手に背負い投げを、重量級に小内刈りを、軽い相手に払い腰を掛けたりする。こうした技術の多様性は成人柔道修行者の練習への興味を高め、意欲を維持することになる。日本の柔道のレベル向上の背景でもある。
指導者は、試合とは異なる乱取りのこの概念を常に説明しつつ、疲れた時でも正しい受け身を行うように、内容の良い柔道や美しい技を心掛けよ、進歩するためには投げられてもいいから技を試せと、熱心に教える。自分より体力の劣る相手に対し組み方に拘るのは良く見られない。
以上を要約すれば、成人対象のこのような自由で拘束性の少ない練習方法は恐るべき効果を発揮する。練習量(1年間週2回の練習で1000回の乱取りができる)が年齢の如何に拘わらず進歩をもたらす。それは、経験豊富で仕事と柔道の楽しさを両立させたい成人一般にお誂え向きの機会を提供する。
予想に反して、成人の初心者も犠牲者とはならない。成人の初心者に対しては、何人かの柔道経験者が特別に助けてくれることや数多い乱取りの機会に新しい技を試す多くの機会があるお陰で、進歩はフランスより速いように思う。
残念ながらこのような練習の仕方はまだフランスには根付いていない。毎年成人の柔道登録者数の大幅減があり、成人層に対して魅力的なオファーを提供することができた他の格闘技で学生の成功例が出てくるようになるのを見て、私は残念に思わざるを得ない。
私は、最大限の多くの人が柔道の練習に喜びを見出すことができるよう、これらのアイディアを説明しそれらをフランスに導入することに成功することを心より願っている。
主張1:寝技の終焉は「一本」の消滅に繋がる
1年間の日本滞在から帰国後、最近私は友人が贈ってくれた何冊かの古い本を読み耽っている。岡野功氏(1964年のオリンピック優勝者で、無差別級で行われる日本柔道選手権において史上最軽量で2回の優勝を記録。現時点でおそらく最も技術の優れた柔道家であろう。氏の柔道に関する知識の該博さは、何にでも応じてくれる心の広さや優しさと同様に比類ないものである)の2冊目の著書の序文は1976年に書かれ、立ち技と寝技の連携及び寝技の試合本体についてのものだが、深く私の心に残った。
氏はこう述べる:過度に防御姿勢をとる相手に対する最良の反撃は、20世紀半ばに教えられていた伝統的な方法であるが、寝技に誘導するための良く統制された連続的な動きである、と。すでに30年前、氏は審判のレベルの低さや、それなしでは自然体から発する投げ技が意味を持たない柔道のこのもう一つの半分(寝技への連携)を生徒に教えないでいた多くの指導者について、慨嘆していた。
そこで、乱取りにおいて、あまり効かない膝をついた背負いを繰り返したり、あるいはうるさく足取りを狙う相手に対し、何をしたらよいか。そのような相手に対し、通常の技を掛ける前に力で体を起こすのは可能だろうか。もちろん、無理である。そのような悪い姿勢を逆用して、自分がその中に入って行って寝技に持ち込んでいくことができる。明らかに、このような技を確実に制御しながら施して確実に勝つためには何十秒かの時間がかかるだろうが、乱取りはそれを可能にする。
寝技で不利な体勢に陥る危険性は、急ぎすぎてかけた攻撃の結果に過ぎない。
それでは、フランスでも日本でも試合においてどのようなことが見られるであろうか。審判が数秒間で試合を停止させることは、失敗した攻撃のすべてに対して当然の罰を与えることを妨げる結果となる。
柔道の戦略的バランスが崩されている。
勝つことを目標にする選手は投げられないように自分をもっていく。それをもっとも確実にするには、組み合わない、片手だけの攻撃を繰り返す、遠くから足取りや膝つき背負いをかけるなどをすることだ。
そして、現在のルールでは、組もうと欲する選手の方が戦意がないとの理由でしばしばペナルティーを与えられてしまう。実際にどうなったかを見てみよう。(マテを繰り返し)寝技をやめさせようとすることが四つん這いの柔道を生む結果となっている。だれも目覚ましい投げ技が多く出るのを期待したが、試合から「一本」をなくしてしまった。寝技を少なくすることによって試合を細切れにしてしまった。必死になって袖端の掴み合いを長時間続けるたりする。これらはどれも見る人を退屈にさせるものである。そこで確かに何とか是正の動きもあるが、実際には病そのものよりその症状に手当てをしている。つまり、毎年審判方法に関する新しい指示を作ったり、試合の結末について二人の選手と同じ程度に主審によっても決められるような、あたかも3者間の試合の様相を呈するようにもなっている。その間、満足のいくような規則は何も作られないままだ。
解決方法は簡単なものである。ルールの改正を試みたが失敗した。それを認識し、寝技の技術を人々が忘れる前に寝技を本来の位置に戻すようにしよう。 審判に対し、寝技を止めて切り刻まないように要求しよう。そうすれば2、3年後には試合での柔道は大きく変化し、「一本」は復活するであろう。
主張2:寝技は成人の初心者のための入り口である
毎年9月、柔道クラブでの成人柔道人口による登録更新が少ないことは私を悲しくさせる。しかし、その点については、実態をもう少し見る必要がある。二十歳で柔道を始めるのは困難が伴う。基礎的な技を習得するにも数カ月はかかるのは覚悟しなければならないし、そのような技は黒帯の選手には容易に跳ね返される。
しかしここ数年来、ブラジル柔術や自由格闘技のような新しいスポーツが益々大勢の若い成人の初心者を惹きつけることに成功している。その人数は、フランスにおける成人の柔道修習人口に匹敵するようになるか、あるいは多分すでにそこに到達している。柔道は消える運命にあるのか、それとも子どものためのスポーツになってしまうのか。私はけしてそうなるのが必然だとは思わない。私はこの点に関して示唆に富むふたつの経験を披露してみたい。
第一は、フランスでの話である。私はエコール・ポリテクニックでの学生時代、そこで何年か柔道を大いに楽しみながら練習した。同校の柔道部はかなり非典型的である。部員は60人から80人ぐらいで、年齢は20歳から22歳の間だが、おおよそ10人程度の黒帯と40人ほどの初心者がいる。これらの、意欲を持った若いスポーツ愛好者であるがまだ受け身も十分できない初心者を、どのように賢明な方法で指導したらよいであろうか。何年かの試行錯誤の上、エコール・ポリテクニックの教員たちは、寝技に基礎をおいた漸進的な指導過程を開発した。それは、若い成人の柔道初心者に速い乱取りや怪我の回避方法を習得させ、身体を柔道に慣れさせながら柔道をする楽しみとやる気を最大限にもたらすための方法である。この方法は実施可能なやり方である。
第二は、日本での経験である。日本で最も古く、また有名な7つの旧帝大(国立大学で学費も安いこともあって入試は最も難関である)の間で毎年高専柔道形式での団体戦の選手権が行われるが、その試合ルールはやや特殊なものである。この大会では寝技は途中でけして止めない。「効果」や「有効」の判定もない。従って、大部分の試合は、捨て身技を試みたあとすぐに寝技に入って展開していく。そこでの技術のレベルは印象的だ。
興味深いのは、とくにこの大会の歴史的存在意義にある。調べてみてわかったことだが、これらの7大学が寝技活用を主軸とするルール採用に合意したのは、これらの大学にとって経験を積んだ選手を揃えてチームを作ることが時には難しいことや立ち技を習得するには時間がかかることなどが背景にある。これに対して、2年か3年で(大学は4年間)、立ち技の防御が出来て寝技では効果的でうまい技(三角締めは特に重視される)を持っていて、自分ほど強くない者には勝ち、強い相手にも負けない、しっかりした選手を育てることは可能である。この方式によって、初心者でも適度の期間の練習で試合に出ることが可能になったし、試合の結果がそれほど高校や大学ですでに得られた技量のレベルに左右されないことにもなった。
これら二つの例は、今後目指すべき道を示している。
若い成人初心者向けに、立ち技を段階的に深く学ぶ以前に早い時点での寝技練習を基礎とした漸進的指導方法を作ることが急務であると、私には思われる。
これは可能である。日本人はもう1世紀間そうしているからだ(フランス人の一部もやっているが)。それだけでなく、今後数年間のうちに柔道の人気が自由な格闘技によって隅に追いやられないことを望むのであれば、そうすることは望ましいことでもある。
チャンスはある。それを掴まえようではないか。