「北斎」をテーマにストックホルムで能と展示の初公開

 

(注)海外との文化交流を支援する目的で2015年に一般社団法人「鴻臚舎」を設立して2019年まで能の海外公演やカンボジアの伝統舞踊団の招聘公演などを実施した。能の海外公演は、金春流櫻間會第21代当主が主宰する公演の支援であるが、2016年から19年まで毎年欧州各国で実施してきた。現地ではいずれも私の想像以上の熱い反響をいただいて、文化交流としての効果に意を強くした。

 この記事は、2018年5月から6月にかけて日本とスウェーデンの外交関係150周年記念行事の一環として新作能「北斎」公演と北斎画の展示を行った時の概要である(写真は三上文規氏の提供による)。幸い、櫻間右陣師作・演出・主演によるこの能も熱い反響をいただき、展示も予想をはるかに超える入場者を得た。

(以下本文)

 日本とスウェーデンの外交関係樹立150周年の記念事業の一つとして、櫻間右陣師による新作能「北斎」が5月末にストックホルムで演じられた。このために作られた演目なので、もちろん本邦海外を通じての初公開である。能公演に合わせて、北斎の多彩な芸術活動を示す「北斎展」も実施した。

 19世紀にヨーロッパの印象派画家をはじめ世界の多くの芸術家に多大な影響を与えた葛飾北斎。「富嶽36景」に見られるような人を驚かす斬新で独特な絵画構図、版画・肉筆画・挿絵その他多岐にわたる膨大な数の作品群、自ら「画狂老人」と称して90歳で死ぬまでひたすら画を描き続けたことなど、北斎を巡る話題は事欠かない。だから、この異才の生き様を伝統的な能の手法で世界に紹介することは画期的な試みであったし、様々なジャンルの作品群を展示することにより世界に稀有なこの人物を浮き彫りにすることも新基軸であった。

 公演の初日は市民文化会館で行われた。700席のこの劇場のチケットは完売で、3階席まで観客が埋まっていた。2日目は、国王・王妃両陛下のご臨席のもとでユネスコの文化遺産であるドロットニングホルム宮廷劇場で「北斎」と「杜若(かきつばた)」が演じられた。場内が古色蒼然としたこの劇場は18世紀後半のグスタフ3世国王時代に作られたものの由で、奇しくも北斎が生まれた直後の建物である。舞台両脇にはあらかじめ描かれた岩や森の絵の舞台装置が置かれ、演目の内容に応じてこれらを舞台に引き出すことができる。波や雷の効果音を出す独特の発生装置も据え付けられていることでも知られている。音響の良さは、能の始まりの笛の音の冴え渡り方で直感できた。

 「北斎展」が行われたミレスゴーデンはスウェーデンの著名な彫刻家ミレスの作品を庭園に展示する美術館であるが、市内各所に貼られたポスターのせいもあって、いつにない数の老若男女が世界的に知名度の高い北斎を見にやって来た。「富嶽36景」のような版画は広く知られているが、今回は普段目につかない「読本挿絵」にも焦点を当てて展示した。美術館側は意気込んでそのうちの2~3枚の壁いっぱいの大型コピーを作成し展示したので、来訪者は北斎の奇抜な挿絵に驚嘆して見つめていた。入り口には「神奈川沖裏波」の大型の装置が置かれ、来訪者の多くがそこで写真を撮って楽しんだ。2週間にわたる展示の最終日の前日には櫻間右陣師も参加するシンポジウムを行なったが、多くの来訪者が熱心に耳を傾け、北斎のこと、北斎が生きた時代背景のこと、能などについて活発な質問もあった。場所を提供してくれた美術館の女性館長も大入りの盛況に大喜びである。
 北斎の世界的知名度もあってか、今回の2本立ての企画にはスウェーデン側が極めて積極的に協力してくれた。現地の山崎大使はじめ日本大使館からも当初より強力に支援していただいた。北斎行事を構想し懸命に準備を進めた日本側関係者の努力も言うまでもなく、今回の行事はこれら三者の協力により盛会裏に終わり、これを実施した鴻臚舍としても満足すべき結果であった。

 新作能「北斎」については、日本から見に来た方々の間で「こんなに素晴らしいもの、日本でもやってほしいわね」と言う声が聞こえた。ご覧になれなかった方々のために、おおよそ次のような筋書きで能が展開したことをご紹介したい。

 諸国一見の旅の僧(ワキ)が北斎の終の棲家である浅草に着いて北斎の回向をしようと思うと、不思議な老人(シテ)が現れる。耳の大きな痩せた老人であるが眼力や気力は壮年の風貌で、「ひと筆いたそう」と言って大きな筆で画を描く仕草をする。これは北斎の亡霊で、地謡が、90歳の北斎が臨終に際して「あと10年、それが難しければあと5年でも生きられたら真性の画家になれるのに」と言い放って北の空に昇ってかき消えて行ったことを物語る。地謡がさらに北斎の作品や生涯を語る中で、旅の僧が北斎の波の絵などの作品を思い起こしていると、そこに白波の精霊(子役)が現れて舞う。地謡が、天から雨が滴り落ちて波涛をなす様を語る。今度は青波の精(シテ)が現れて共に舞う。青波の精の衣装は今回のために新調した鮮やかな青緑と白の色調である。囃子方の音楽のテンポが高まり、大波小波、白波青波の精霊が気を通じあって活発な舞を展開する。シテと子役が細く切って作った白と青の紙の糸の束を投げて波の動きを立体化して見せる。このとき予期していなかったが、ユネスコ文化遺産であるこの舞台の奥に据え置かれた波の装置が動き出して、あたかも波がうねっているような雰囲気を醸し出した。舞台の背景には「神奈川沖浪裏」や「凱風快晴」の版画が大きく映し出されるなかで、お囃の音楽が一層心地よく響き渡り、地謡がさらに北斎の生涯を語って舞台は最高潮に達する。

 公演では、演者の台詞や謡の詞章を英語の字幕で解説した。どこまで理解されたかはわからないとしても、観衆は目をかがかせて舞台を見つめていた。終わると大きな拍手が起こったので、日本では行わないが、演者はカーテンコールに応えるように舞台に戻って来てお辞儀をした。また、拍手が起こる。

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Judo Kizuna
Judo Kizuna
Judo Kizuna

   (写真提供 三上文規氏)