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カンボジア柔道を応援しよう

   カンボジア柔道を応援しよう! いま、カンボジア柔道ナショナルチームが愛媛県松山市で特別強化合宿を続けています。その訳をお話ししましょう。 アセアン10カ国を中心とする地域のオリンピックというべきシーゲーム(SEA Games:東南アジア競技大会)をご存知ですか。大変盛り上がるそうですが、本年5月プノンペンで開かれます。 私は20年余り前に駐カンボジア大使として勤務していた時に柔道をしていたご縁で、昨年来カンボジア柔道連盟とフンセン首相御自身からこの大会でカンボジアがメダルを取れるよう選手の強化育成を頼まれています。 そこで現役時代の実績と海外指導経験が豊富な濱田初幸先生(8段)にお願いして、昨年10月から12月半ばまでプノンペンで、その後先生の地元の松山でカンボジア・ナショナルチームの強化合宿を続けています。濱田先生の熱血的な指導で、当初柔和だった選手たちの顔つきが変わり、激し過ぎるほどの訓練に耐えられるようにもなり逞しくなっています。2月からはオリンピック・メダリストの中村美里さんも指導に加わります。また戦争から逃れてカンボジアに滞在している2名のウクライナ柔道選手も合宿に加わりカンボジア代表として大会に出場予定です。一行は3月にはプンノンペンに戻り5月のシーベームまで特訓が続きます。 この強化合宿には様々な費用がかかり、カンボジア・シーゲーム組織委員会も費用の一部を負担していますが、私ども「カンボジア柔道応援団」も費用集めで奔走しています。 現時点ではアセアン諸国の中でも柔道では最下位のカンボジア選手が5月にメダルを手とれるよう、ぜひご支援・ご協力ください。詳しくは、下記をご覧ください。 (2023年1月27日記) カンボジア柔道応援団 小川郷太郎

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充実した人生_小川氏
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柔道を続けて身についたもの

(注) この記事は月刊「武道」誌2020年11月号に寄稿した記事を出版社の了承を得て転載したものである。 17歳でやや遅く柔道を始め、喜寿を過ぎても細々ながら続けている柔道人生を振り返っての感想を書いてみた。 柔道以外の趣味である書画と同様、私のやっていることはどれも進歩が乏しい。私よりずっと熱心にやっている人たちがたくさんいるから当然でもある。でも愚直に長くやっていることによって得られるものもあると思って自分を慰めている。柔道には人生に役立つことは非常に多いと思う。もっと多くの人が柔道を始めてほしいと思うことしきりである。

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柔道とどう向き合うべきか(鼎談)

  日本で柔道にどう向き合うべきか (注)以下は、2015年2月7日に私(小川)が主宰する「絆サロン」で行った柔道に関する意見交換の概要である。日本で若い人の柔道人口が減少している問題などについて3人の専門家から話を伺い意見交換をした。 日本発祥の武道である柔道。オリンピックでは日本に多くのメダルをもたらしてくれる重要な種目。日本各地で柔道を学び、指導する人は多くいるが、最近は柔道人口は減り、高校や大学で柔道部員の確保さえままならないほどだ。柔道は危険だ、練習がキツイというイメージで敬遠されるからである。世界では200の国や地域に柔道連盟がある。地球の隅々まで浸透したのは、心身を鍛える柔道の教育的効果に惹きつけられているためだ。 こんな状況を踏まえ、第33回絆サロンでは、日本では何が問題か、柔道にどう向き合えばいいかなどの見地から3人の柔道指導者をお招きし、会場の参加者と共にパネルディスカッションを行った。 まず、パネリストの先生のお話を聴こう(カッコ内は私の解説)。 三浦照幸先生  「子供のころ『姿三四郎』の映画を見て、それまでやっていた野球をやめて柔道の道に入った。柔道をやる人たちはいい人たちばかりだと思った。三重県の伊勢高、日体大で柔道を学び、柔道が好きになった。怪我や手術なども経験し、恩師の薦めで指導者の道を志し、長年立教高校、東京柔道整復専門学校、講道館、海外などで青少年の柔道指導にあたって来た」「柔道を通じて子供たちに夢を持たせ、また、強さよりも柔道の良さを教えたい」(先生は、74歳の今でも連日柔道衣を身に着け稽古、試合出場、指導に奔走されている。)「勝つことより柔道が楽しいと思って続けていくように指導している」「嘉納治五郎師範の思想にならい、柔道を通じた人間教育を目指している」「子供の寝起きや日常生活での規律などを躾け、鍛えることも大事」「ハワイでもこれまで33年間柔道を指導してきた」(実際、先生は、子供たち一人ひとりの名前を憶えていて、練習中やその前後に子供や親にも声をかける。遠くにいる時でも電話をかけて近況を聞いたり励ましたりされている。子供たちは嬉々として柔道を学び、先生とも楽しそうに、しかし、礼儀正しく話しているのを私はしばしば拝見してきた。教育者としての一貫した姿勢に感銘を受ける。) 山口香先生  (お馴染みの山口先生は、全日本体重別選手権で10連勝、日本女子選手として初めて世界選手権金メダル、ソウルオリンピックで銅メダルなど、輝かしい記録の持ち主。今日も筑波大学大学院准教授、日本オリンピック委員会理事、子供の指導など多方面で活躍中。)「今日問われているのは、嘉納師範の教えた柔道をどう伝え継承していくかである。その場合、伝統は大事だが、形にとらわれず新しいことをやっていくことも重要」「今日の世界は混沌としている。ボーダーレスの世界の変化は受け容れる以外に道はなく、その中で地球規模での文化を良くしていく必要がある。グローバルな社会で何が必要か。子供たちに人間教育を伝えたい」「奥ゆかしさ、曖昧さ、譲り合いなどは日本の誇るべき文化だが、自分の意志を主張することも重要だ。私は世界選手権の決勝で審判の判定にチャレンジしたことがある。(その当否は別として)そうしたら何と結果が変わった。言わなければ伝えられない」「嘉納師範が言われるように柔道を学ぶ上で『問答』をしていくことが大事」「柔道は『道』の文化だ。勉学や知識では得られない善悪も教えてくれる」「勝利至上主義はいけないが正しく競い合い結果を受け容れることは重要。負けても相手がいることによって自分が高められたと思うべし」「柔道の精神を持って人に対し、世の中のためになることを心掛けるべきだ」

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フランス人柔道家の日本体験談

  フランス人柔道家、日本での修行について語る 最近パリに帰国した若きフランス人の柔道愛好家がいる。7歳からフランスで柔道をはじめたが、フランスの誇る名門エリート校のエコール・ポリテクニックを卒業してフランス経済財務省に入省後も柔道を続けている。今般日本にあるフランスの証券会社で1年間の実務研修をするかたわら、多くの道場を渡り歩き実に貪欲に柔道の練習をし、また、懸命に日本語や日本の文化を勉強していった、エリック・ユベール( Eric Hubert )という好青年である。 ユベール氏が日本での柔道修行に関する感想を寄せてくれた。日本をやや美化している面が無きにしも非ずではあるが、日仏柔道比較論や寝技に関する考察が示唆に富み興味深いので、そのまま以下に翻訳し掲載する。同氏は、日本の成人柔道における柔軟な乱取練習の効用や寝技復活の必要性を説き、また、試合中「待て」を連発して寝技をやめさせて立たせる現在のルールが、「一本」の減少に繋がっていることを批判している。 (2009年9月記 小川郷太郎) 日本における柔道:成人のための柔道練習法 私は、日本に1年間住むという素晴らしい機会を柔道を本来のやり方で練習することを試みるために活用した。それによって、私は柔道の象徴的要素(柔道衣、繰り返して行う礼など)はヨーロッパに適切に輸入されたとしても、練習方法はそうではないことを知った。

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井上康生氏、これからの道を語る(インタビュー2011年) 

  井上康生、これからの道を語る (注)以下は2011年時点でのインタビューであるが、今日の井上康生氏の活躍を見る上で参考になると思われるので再録した。 シドニーオリンピック金メダルなど柔道(重量級)で輝かしい実績を誇る井上康生(33歳)氏は現役引退後の2009年1月より2011年1月まで日本オリンピック委員会(JOC)の派遣によりイギリスで研修した。帰国後の報告会で語ったことから、柔道の素晴らしさに一層の確信を持つようになり、そうした柔道が世界の中でさらに健全に発展するために尽くしたいとの強い熱意が感じられた。研修中、積極的にイギリス社会のなかに溶け込み、また、20か国余りの欧米諸国を訪問して柔道指導や交流に努めた。日本柔道界では国際的視野で行動する数少ない若手指導者として今後の活躍を大いに期待したい。 英国研修から帰国後の現在、東海大学武道学科の専任講師、同大学柔道部副監督、全日本柔道連盟のナショナルチーム・コーチなどを務め、学生や選手の指導に忙しい毎日を過ごしている。忙しすぎて、愛妻、3歳と1歳の可愛い子供のいる家庭で過ごす時間が少ないと嘆く氏の顔には、畳の上では見られない人間的な優しさが満ちていた。 一流選手から指導の道に入ったばかりであるが、これからの井上康生の進路に関心がもたれている。晩秋の一夕、ナショナルチームの指導を終わって急いで駆け付けた康生氏とじっくり話をした。2時間あまりの打ち解けた雰囲気の中で、氏の人柄や思想と行動が伝わってきた。イギリスでの研修が、視野を広め今後の活動に新たな刺激を与えているようにも見える。 以下は見出しを含め井上氏発言の要旨をまとめたものである。 (2011年11月19日記 小川郷太郎) 世界における柔道の価値と意義 イギリスをはじめ多くの国で柔道を通じて交流した結果、世界では非常に幅広い職業や年齢層の人々が真摯に柔道の技や礼節を学ぼうとしていることに印象付けられた。また、これらの老若男女が柔道を楽しみながら練習している姿を目の当たりにして、これは柔道のもっている価値がその背景にあるのではと思った。これまでの選手生活ではわからない事だった。

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山口香:「柔道を立ち止まって考える役割を担いたい」

  山口香:「柔道を立ち止まって考える役割を担いたい」   (注)以下は2011年4月の時点で私(小川)が行った山口香筑波大学教授へのインタビューの再録である。何年か経ても未だ興味深い内容が多いと思われるので、ここに再録した。  日本の女子柔道は今日世界で注目されるほどの強さを発揮するようになったが、日本における女子柔道の草分けである山口香氏(筑波大学準教授、1984年世界選手権金メダリスト(52kg級)、1988年ソウル・オリンピック銅メダリスト)は、現在子供を含めた柔道の指導に当たっているほか、柔道の現状に危機感を抱き、柔道の本質に関して様々な見地から論陣を張っている。柔道を真に良いものにしようとの情熱には敬意を表するものがある。「柔道フォーラム」ともいうべき同氏のブログが最近終了した。その背景を聞くとともに柔道に関する氏の最近の思いを尋ねた。3月11日の東日本大震災を契機に考えたのは、危機に面して冷静に対処する姿勢を養うことのできる柔道修行の価値だそうである。世界にも目を向け「柔道を立ち止まって考える役割を担いたい」と語ったのが印象的だ。 (これまで山口さんのブログ「柔道を考える」は幅広い問題に触れ、内容は刺激的でもあり、興味深く拝読していました。多くの読者がいたようですが、最近やや唐突に終了したのは残念です。やめた背景は何ですか。)  このブログを通じて、柔道とは何かというものを私なりに真剣に考えそれを発信することにより、柔道に関心を持つ人にも考えてもらいたいと思ってきました。最近の柔道に関する内外の諸問題に触れ、時には国際柔道連盟(IJF)の新しい運営方針や講道館と全柔連との関係に関する批判なども展開しました。多くの人々に読んでいただき、中には「同感だ」という声も多くありました。特定の人の名前も挙げて批判したこともありました。講道館や全柔連において若干の反発はありましたが、そのために私が難しい局面に立たされたことがさほどあったわけではありません。何とか柔道をよくしたいとの気持ちで書いたことはある程度分かってもらったと期待しています。2年あまり発信を続けたことにより、私の考えを知らせるうえでおおむね流れができたと感じています。問題点を指摘しても、現実にはそれがすぐに改善されるわけでないこともわかっています。最近、私の論調が少し甘くなったと言われることがありますが、むやみに批判を続けて戦っても変化する見通しがあるわけではありませんし、賛否両論で非難合戦になって柔道自体の安定性が損なわれる危険もあります。柔道に関する様々な情報が地方にも伝わったとして喜んでくれる人もいました。ある程度流れを作れたこの時点でいったん閉じて、また将来違った形で柔道を論じる機会があればやりたいと考えています。 (山口さんの指摘には私も多くの点で同感ですが、柔道の本質的な点について提言しても、それを国際的な場を含めて実現していくのは実に難しいですね。どうしたらいいでしょう。)  柔道に関する個別の問題については様々な考えもあり、答えが必ずしも出ないこともあります。でも重要な問題点についてはしっかり発言して行動することが大事だと思います。私が指摘した問題点について関係の方々にも考えてもらえる時期が来ることを望んでいます。IJFのビゼール会長は明確な考えを持った人のようですのですぐに変化あるとは思いませんが、世界の柔道指導者や愛好家の間で柔道をよくするにはどうするかを考えて、意見を表明し、行動していくことが大切だと考えます。最近アフリカや中東で政治的に変化の動きができていますが、行動すれば一時の混乱はあってもそれが変化に繋がっていくことを世界に示したように思います。 (最近の柔道について、どういう点が大きな問題だと考えていますか。)

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岡野先生、「柔道」を語る

  岡野功先生、「柔道」を語る 岡野功先生から最近の柔道に関するお考えを伺った。言うまでもなく、岡野先生は1964年の東京オリンピックの中量級金メダリストで、全日本選手権でも2回優勝(史上最軽量優勝者)。1965年の世界柔道選手権(中量級)でも優勝し、日本でも数少ない五輪・日本・世界の三冠制覇をなしとげた者の一人である。今日、日本柔道界の公的な役職は有していないが、常に柔道の本質的なものを求める姿勢やその技量は国内外から尊敬の念を得ている。 先生は間もなく67歳になられるが、いまも柔道衣を着て畳の上に立つ「現役」で、流通経済大学のほか、国内外で柔道の指導に当たっておられる。「柔道がまがいものになるのを黙って見ていられない」との気迫をもつ。先生の発言はいずれも柔道の本質に関わる重要な点を含んでいる。 (2011年2月5日 文責 小川郷太郎)   柔道衣の「ゆとり」について かねてより最近の柔道衣について問題を感じている。柔道衣を着たときの「たっぷり感」、「ゆとり」がないからだ。ゆとりがないために、例えば背負い投げを指導していても相手の襟を持つ手首が回らないほどで、そのような状態は異常である。これでは柔道の代表的な技が使えなくなり、本来の柔道が出来なくなる。サンボや相撲、イランのレスリングなどの格闘技と柔道の違いは、身に着ける物にある。これによって技の性格は大いに変わるのだ。 柔道衣は本来着物に由来するが、着物はたっぷりしていて、これが様々な技の掛け方を可能にし、それが「小よく大を制す」柔道の特質であった。かつての柔術の着物は体にかなり密着していたが、近代柔道では柔道衣にたっぷり感を与えたのだ。 柔道衣がゆったりしていないことにより、柔道の個性が殺されて、他の格闘技と似た面も出てくるし、無差別の試合を面白くなくする結果にもなる。

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山口香の「一寸お邪魔します」(対談)

  山口香の「一寸お邪魔します」 (注)この記事は月刊「柔道」2009年3月号所載の山口香筑波大学大学院教授と私(小川)の対談の転載である。 小川郷太郎 イラク復興支援等調整担当大使1943年静岡生まれ。東京大学法学部卒。外務省に入省し、フランス、ボルドー大学で研修した後、フランス、フィリピン、旧ソ連、韓国、ホノルル、カンボジア、デンマークなど各国を回る。2007年外務省を退官。現在、外務省参与。イラク復興支援等調整担当大使。著書に『世界が終の棲み家』 今回はイラク復興支援等調整担当大使としてご活躍されている小川郷太郎氏を外務省にお訪ねしました。 フランスは日本柔道の精神面に 関心を持っている 大使は今まで数多くの国に行かれていますが、最も印象に残った国というとどちらになりますか? 小川  私の仕事の観点からいいますと、カンボジアが一番やりがいのある国でした。広くたくさんのことを学びました。次に韓国、旧ソ連。滞在期間から言いますとフランスが最も長く、柔道も一番やりました。生活文化という面ではフランスに惹かれますね。

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柔道の世界への浸透と日本

  柔道の世界への浸透と日本 (以下は、2008年6月12日、山下泰裕氏が主宰する「柔道教育ソリダリティー」で行った講演概要である。やや長文であるが、海外を含めたこれまでの私の柔道経験とそれを踏まえた柔道への思いを包括的に披露させていただいた。そのような思いは今日でも全く変わっていない。) ただいま山下泰裕理事長からご紹介をいただきました小川郷太郎です。よろしくお願いします。私は昨年まで、約40年にわたって外務省に勤務しました。外務省では外国と日本の勤務を繰り返しながら勤めますが、私の場合、海外での勤務は40年間のうち23年あまり、国にして7カ国ほどです。 これまで、海外でも国内でも様々な形で柔道に携わってまいりましたので、今日は、そうした私の個人的な体験や考えてきたことなどを話させていただきたいと思います。とは言いましても、何分にも私の柔道経験は限られておりますし、まだあまり日本の柔道界の事情を知りません。特に今日はこのように大勢の柔道の先生方にお越しいただいており、いささか緊張を覚えております。 そのようなわけで無知なことを申すこともあるかとも思いますが、どうかご容赦ください。また、いろいろと違っている点などは、後ほどご指摘いただければ幸いに存じます。 柔道との出会い 私が柔道を始めたのは、高校3年生の時です。それも、アメリカの高校に1年ほど留学の機会を得たので「日本らしいものを身につけて行こう」と、出発まで半年を切った頃になって、当時、通っていた静岡高校の柔道部で練習を始めたような次第ですから、スタートとしてはかなり遅い方でした。 それまでの私はといえば、小学校から中学校までは、ずっとプロ野球選手になることを夢見る野球少年。「絶対に巨人に入るぞ」と子供ながら必死にやってきたわけですが、それが中学校の頃に挫折して、心機一転、何かやろうと思っていたところ、アメリカに行きたい思いがどんどん強くなり、英語を一生懸命に勉強して、幸いに得たのが、1年間の留学の機会だったというわけです。そんなわけで、半ば付け焼刃の柔道と共にアメリカの高校に留学しました。現地で何度か柔道をやる機会があったものの、白帯だったもので格好もつかず、それならせめて何か運動しようと、現地の高校ではレスリング部に入りました。私は小学校時代から折りにふれて相撲をやっていたものですから、アメリカ人より足腰が強かったようで、すぐにレギュラーになれてそれなりに面白い経験でした。 1年経って、アメリカから帰国し、その後東京大学に入りました。アメリカンフットボールやら野球やら、何をしようかとさんざん迷ったのですが、結局、始めたばかりの柔道で「どうしても黒帯を取りたい」と柔道への思いから、東大柔道部に入部して、本格的に柔道を再開しました。その後、卒業して外務省に入ってからも、日本にいる時には母校の柔道部の寒稽古に参加したり、外務省の近くの警視庁道場で助教の先生の胸を借りて稽古をしたりと、いろんな形で柔道を続けてきました。

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柔道と私

柔道と私 遅く始めて生涯柔道へ コロナ禍が長引いて巣ごもり時間もすごく増えたたためか、喜寿を迎えた老骨の身だが身体がナマって来た感じがする。それで、長い散歩のついでにひと目の届かないところで「ひとり打ち込み」(柔道の技をかける練習だが通常は二人でするもの)をしたりする。シャドーボクシングみたいなもので、他人が見れば「何をしているのだろう、あいつは馬鹿ではないか」と思われるかもしれない。 中学の時まで真顔で巨人入りを夢見ていた野球少年だったので、柔道を始めたのは、静岡高校在学中AFSで留学することが決まってからだ。周りから「日本人として何か特技を身に着けて行け」と勧められて、アメリカ出発の半年前に慌てて柔道部に入部し受身から練習を始めた。帰国後一浪して大学に入った時、入部したい運動部が野球部をはじめいくつかあり迷ったが、黒帯をとりたい一心で柔道部を選んだ。卒業後外務省に入省したため海外生活も頻繁だったが、日本でも海外でも柔道を続けた。退官後は東京の丸の内柔道倶楽部に所属し、細々ながら稽古を続け、時々試合にも出る。私の柔道歴は今年でちょうど60年になる。 稽古は苦しいし怪我も数多くした。ガニ股、すり足の体型で女性にもモテず悔しい青春時代だったが、なぜ俺は柔道を続けているのかと自問することがある。辛いから止めようかと感じると、ほぼ自動的に「この意気地なし奴が」と自分を叱咤する声が出てきて続けている面もあるが、柔道を続けてきたお陰で足腰はまだ暫くもちそうだし、それ以外にも重要な効用があると最近思うようになっている。 稽古で心身にみなぎる力が湧く、稽古の継続で人格が陶冶される 柔道の練習は密着して格闘する行為なので苦しいことが多いが、だからこそ心身が鍛えられる。白帯で入部した大学時代は、よく先輩から投げられたり締め落とされたりした。抑え込まれると息もできず苦しい。「参った」をしても緩めてくれず、「参ったをするな」「逃げろ」と叱咤される。手を緩めてくれないので必死に逃げようともがくうちに、少しずつ力がついてくる。「なにくそ魂」が鍛えられ少し強くなると、今度は自分が相手を投げたり抑え込んだり関節技や絞め技に成功して、密かな快感を味わうこともある。全力で肉体をぶつけ合うだけに、終わった後の爽快感は何ともいえないし、闘い合った相手への敬意が自然に湧いてくるので柔道の仲間同士の間では親近感や信頼感で心が結ばれる。 外務省での東京勤務のとき、冬にはよく大学や警察に寒稽古に出かけた。暗いうちからの練習で勤務前には職場に戻るが、ちょっと疲労感が混じった心身の充実感で、「ようし、やるぞ」と全身に力が漲る感じがしたものだ。それだけではない。辛いことを継続してやることで人格が陶冶されるのではないか。柔道を続けていると、少しのことで慌てたりへこたれない精神が形成されてくるようだ。振り返ると、社会生活で相手と対峙する時の冷静さや落ち着き、辛抱強さが養われたと思う。2003年、私がカンボジア大使をしていたとき、アメリカのブッシュ大統領がイラク戦争開始に踏切り、小泉首相が直ちにこれを支持した。カンボジアはイラクとは無関係ではあるが、私はこれは日本にも影響のある外交上の重要な問題であると考え、内部で公式に異論を唱えることとした。一介の役人が首相の決定に異議を申し立てることによって何らかの処分を受けるかも知れないという思いも頭をよぎったが、躊躇なく行動した。長い間の稽古を通じて、怠惰や恐れに負けてはならじ、信念は貫くべしとの気概が無意識に身についたのかも知れない。 柔道は人々を繋ぐ「世界の無形文化財」 外務省に勤務したことで、海外生活は7ヵ国、合計23年に及んだが、7ヵ国のすべての国で柔道をした。特に最初の勤務地のフランスは柔道が盛んで、多くの道場に出かけた。汗をかいて外国人と組み合い、稽古後にビールで乾杯して談論して友好を深める。自分にとっては相手の国のことを知り、相手に日本のことを話す良い機会になる。地方訪問でも多くの柔道家と出会い、一宿一飯の恩義に与ることも一再ではなかった。1970年代から80年代にかけて何度もアフリカに出張したが、そこで驚いたのは、貧しい国のどこでも柔道をやっている人がいることだった。道場も畳も柔道衣も殆どなくても、稽古の始めと終わりに若者たちが正座して日本語で「先生に礼」と号令して練習していた。壁には古びた嘉納師範の写真が貼ってあったのを見て、柔道に向かう真摯な姿勢に感銘を受けた。頻度は少なかったが、柔道強国である旧ソ連のモスクワや韓国でも柔道をした。自分より強い者が多かったが、稽古をすればすぐ親しくなれる。ハワイでは日系人の道場で稽古をした。カンボジアやデンマークでは大使を務めたが、大きな行事や王族の臨席のもとでデモンストレーションも行った。日本の柔道仲間から「お前は海外でも柔道をして遊んでいる」と冷やかされるが、今日、柔道が世界中の人々に信奉され愛されて浸透している様を見るにつけ、私は「柔道は世界の無形文化財」だと主張している。柔道は世界の人々を繋げる力がある世界的な「文化」だから、日本大使館としても柔道を活用することが重要だと、後輩の大使たちにも伝えている。

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